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移植手術用の肝臓をバイオ3Dプリンターで製作することが現実解であるとは、考え難い。

 機能不全に陥ると即刻、死に繋がる脳と心臓(及び肺)は別格として、肝臓と腎臓は生命維持に不可欠の臓器である。極端に言えば、胃、十二指腸や膵臓などは、無くても生きていける。膵液を作る薬剤は存在するし、インシュリンも注入することが可能である。
 腎臓が機能不全に陥ると、人工透析が必要になる。人工透析器は、人類が最初に活用した人工臓器でもある。腎臓を人工的に再現することは絶望的に困難であるが、圧倒的なニーズが、代替物を作り上げたわけである。
 肝臓も、体外の人工物で肝臓機能を代替えすることで、体内の肝臓を休ませて、機能回復を待つ、というアプローチも存在するが、有効性は乏しい。
 このため、機能不全に陥った肝臓は、人工物を製作して移植手術をすることで置き換えることが求められている。
 肝臓は腎臓に負けず劣らず、人工的に再現することが困難である。肝細胞の酸素消費量は、おしなべて、他の細胞の2倍程度である。これは、肝臓内では、細かい血管が高密度で走行していなければならないことを意味する。肝臓内の毛細血管網を類洞と呼ぶ。
 また、血管と同じくらいに、胆管の走行を再現することは絶対である。胆管の再現が不十分で胆汁がうっ滞すれば肝細胞は壊死してしまう。
 肝臓を人工的に製作するアプローチはいくつか存在するが、最も耳目を集めるのは、バイオ3Dプリンターであろう。バイオ3Dプリンターで人工臓器を製作するというアプローチは、米国らしいファンキーな装丁が目に付く書籍、「いつになったら宇宙エレベーターで月に行けて、 3Dプリンターで臓器が作れるんだい!?気になる最先端テクノロジー10のゆくえ」(化学同人、2020年)でも扱われている。ちなみに同書では、科学的な記述はそれほど豊富ではなく、むしろ経済的(コスト的)記述や倫理的記述が豊富である。
 確かに印刷して作り上げるというアプローチには、素直な驚きがある。日本でもサイヒューズやリコーといった企業が取り組んでいる。
 しかし、移植手術用の肝臓をバイオ3Dプリンターで製作することが現実解であるとは、考え難い。5年ほど前に、再生医療・人工臓器関連のレポートを作成した時点で、そう考えていた。
 なぜかというと、まず、(1) 「バイオ3Dプリンターよりも早期に、人工肝臓を上市する方法がある。」と考えるからである。そして、(2)「医学界は一つのスタンダードが確立してしまうと、それをひっくり返すのが極めて難しい。」からである。
 順番が逆であるが、(2)から説明する。医学界では、新しい製品や機器は、まず(その筋で著名な研究者が書いた)論文で発表される。その論文をベースにして、少しずつ(大抵の場合)EUから米国という順番で、臨床現場で試験的に使われて広まっていく。その過程で、医療コミュニティ全体に、様々なノウハウが蓄積されていく。そして、各国・各地域における医療コミュニティのボスが、それらの採用を決定する。こうして、スタンダードが確立される。
 スタンダードが確立すると、患者側もスタンダード以外の選択に難色を示すようになる。それを押し切って、スタンダード以外の製品や機器を採用すると、訴訟リスクが生じる可能性がある。医療コミュニティのボスの意向を裏切って、かつ、訴訟リスクに立ち向かう。それは医者にとって、ありえない選択である。(ただし、当局の意向が絶対である中国は例外。それ故に、中国を侮ることは厳禁である。)
 このような事情から、医療機器分野では、M&Aが絶えない。つまり、一度スタンダード化した製品や機器の使用をひっくり返すのは事実上不可能であるから、ビジネスでひっくり返すにはM&Aで会社ごと取り込むしかないのである。
 ちなみに、サイヒューズは血管や神経といった細長い臓器を主要ターゲットにしている。オルガノイドを作成して薬物動態を評価するというアプローチを除いては、実質臓器はターゲットから外れている。極めて、真っ当な事業戦略を実行していると言える。
 一方リコーは当初、人工心臓の製作を考えていたようだが、現時点(2020年)では、オルガノイドを作成して薬物動態を評価するというアプローチを採用している。なお、リコーに限らず実質臓器をバイオ3Dプリンターで製作しようとしている企業の多くは、心臓と腎臓をターゲットにしており、肝臓をターゲットとしている企業は、ほぼないと思われる。

 ここで(1)に戻る。より早期に、人工肝臓を上市する方法とは、脱細胞化骨格を鋳型として肝細胞を遊走・生着させるという方法である。
 肝臓を機能発現させるには、3次元構造が必須である。肝臓が体内で3次元構造を形成できる理由は、タンパク質を含む非細胞性物質で構成される細胞外マトリックスが足場として機能しているからである。肝臓の細胞外マトリックスは、少なくともおよそ100種類のタンパク質を含む。これらのタンパク質を、細胞外マトリックスのどこに、どの程度の密度で存在させれば良いのかについて、人類は正確に理解していない。
 また、細胞はある程度の密度を有するクラスターを形成することで、生体機能を発現する。しかし人類は、各肝細胞が、どの程度の密度でクラスターを形成するかについても正確に理解していない。
 バイオ3Dプリンターは細胞とタンパク質を含むバイオインクを高精度に吐出して、3次元構造物を製作することができる。しかし、その製作指示書が作れないのであれば、その特性は活きない。
 さらに重要なことは、今人類が知らないと認識していることを全て知ったとしても、それで人工肝臓がプリントできる保証はないということである。つまり、実際のところ、何を知らないかすら分かっていないのが実態である。この状況は、実用化という観点からは絶望的である。
 これに対して、実際の(動物の)肝臓から細胞を取り除いた細胞外マトリックス(脱細胞化骨格)には、細胞を導くためのタンパク質が十分に残っている。この脱細胞化骨格には、毛細血管や大血管の構造及び胆管の構造も残っている。脱細胞化骨格に、iPS細胞から分化誘導した肝細胞(及び幹細胞等)を注入すると、残ったタンパクを目印にして、勝手に細胞が目的の場所に移動する。これを遊走と言う。胆管細胞は胆管から、血管内皮細胞は門脈と肝静脈・肝動脈から、肝細胞や非間質細胞は門脈から、厳密に定められたプロトコルに従って注入・充填することが肝要である。
 注入・充填された各細胞は、適所まで到着すると生きたまま、その場所に留まる。これを生着という。
 このようにして、人工肝臓を作ることができる。ヒトサイズよりも小さなミニブタサイズの人工肝臓を動物に移植して、肝機能を発現させることは、(5年前の時点で)慶應大学医学部外科学(一般・消化器外科)の研究グループ(北川雄光教授、田邉稔准教授、八木洋助教)が成功していた。ピッツバーグ大学医学部のSoto-Gutierrez 助教との共同研究であり、ヒト由来iPS細胞から肝細胞等を作製したのは、大阪大学水口裕之教授のグループであった。
 2020年6月には、九州大学病院別府病院外科の武石一樹助教が、米国ピッツバーグ大学医学部Soto-Gutierrez准教授らの研究グループと、同じ手法で人工肝臓を製作したという発表があった。
 いずれにしても、ヒトに移植する「実用化」までには、①ヒトサイズまで大きくするスケールアップが必要である。加えて②iPS細胞から肝細胞を安全に作る(ガン化の可能性を低減する)。無菌で人工肝臓を製作する。③機能を損なわずに保存、輸送するといった問題も解決する必要がある。バイオ3Dプリンターを使う場合も②は共通である。
 2021年12月23日、先に上げた慶応義塾大学のグループは、「ヒトサイズに近い大きさの人工肝臓を作製し、移植に成功した。」と発表した[1]。移植 1 ヶ月後に調べた結果は以下のことが確認されている:①充填した肝細胞や血管内皮細胞が生存、②(一部では)新しく胆管の構造が作られている、③胆汁も産生されて始めている。さらに、正常の肝臓で見られるような遺伝子発現を認めた。
 予想よりも進展は遅いが、予想したシナリオ通りに、確実にステップアップしていると思われる。

 結論的に述べると、肝移植に使用可能な人工肝臓は、バイオ3Dプリンターよりも脱細胞化骨格を使ったアプローチにより、早期に製作されると予想される。このため、移植手術用の肝臓をバイオ3Dプリンターで製作することが現実解であるとは、考え難い。

[1] https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2021/12/23/211223-1.pdf

  

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