エキゾチック量子ビットwithトポロジカル量子コンピューター
米国防総省傘下の国防高等研究計画局(DARPA)は、2023年1月31日、実用規模の量子コンピューティング(US2QC)プログラムの「未開拓のシステム」に3つの企業を選択した:中性原子方式のAtom Computing、光方式のPsi Quantum、トポロジカル量子計算方式のマイクロソフト、である。US2QCプログラムの発想は『想定外のモダリティ・アーキテクチャが量子超越性・優位性を達成することで、米国が量子計算技術分野において被る危険を減らすこと』である。
2025年2月6日、DARPAはPsi Quantumとマイクロソフトが最終ステージへと進んだことを発表した[*M-1]。この結果と連動しているのかは分からないが、マイクロソフトの研究者は、「マヨラナ準粒子ベースの量子ビットに基づく、誤り耐性量子コンピューティング・アーキテクチャに向けた、具体的なデバイス・ロードマップ」を提示した論文[*M-2](以下、本論文)を発表した(25年2月17日@arXiv)。以下、本論文で扱われている、マイクロソフトが開発を進めている量子コンピューターを「本コンピューター」と呼ぶ。
マイクロソフトにおけるトポロジカル量子計算研究の歴史は長い。(フィールズ賞を1986年に授与された)米国の数学者マイケル・ハートレー・フリードマンが、マイクロソフトに研究を持ちかけたことが始まりとされる。2006年、米加州サンタバーバラにStation Qという研究機関が設立され、Station Qを中心に、蘭デルフト工科大学🐾1やデンマークのコペンハーゲン大学なとど連携しながら「およそ20年間」研究が続けられ、今日に至っている。本論文で使われている技術要素は、20年に及ぶ技術開発の結晶である。
🐾1 デルフト工科大学のレオ・カウウェンホーフェン博士は、2018年、マヨラナ粒子を観測したとする実験結果をnatureに発表した。しかし、それは捏造であり、論文は撤回された。このような逆風にも負けず、マイクロソフトは研究を続けた。昭和の日本企業顔負けの粘り強さである。
【1】ロードマップの内容
マイクロソフトは、トポロジカル量子コンピューターのロードマップを公開した。量子ビットは、マヨラナ・ゼロ・モード(Majorana Zero Mode:MZM)である(☞そもそも、MZM(マヨラナ準粒子)の存在が確認されているかについては【5】(2))。ロードマップの内容は、以下(1)~(5)の通り:
(1) 本コンピューターは物理量子ビット=MZMであり、論理量子ビット≒テトロン(Tetron)
である(☞【3】(1)0⃣を参照)。
(2) 本コンピューターは『測定型』トポロジカル量子コンピューターである。ブレイディングは、測定ベースのブレイディング(☞【3】(2)0⃣及び1⃣)である。つまり、MZMを物理的に移動しない。測定は、パウリ基底による射影測定である🐾2。ただし、計算結果を決定するには、干渉測定と呼ばれる射影測定を行う(☞【3】(2)4⃣)。
(3) 量子誤りを「アイドリング時に発生する誤り及び、測定誤りに限定」🐾3した場合、物理誤り率10-4を達成できる。
(4) (測定ベースであっても、測定ベースでなくても)ブレイディングで実現できるのは、クリフォード・ゲートのみである。Tゲート操作を実行するには、魔法状態を準備する必要がある。
(5) 本コンピューターに自然によく適合する量子誤り訂正符号は、フロケ符号である。
🐾2 通常の測定型量子計算における測定も、パウリ基底による射影測定で十分である。
🐾3 厳密には、他の量子誤りも存在する(☞【4】(2)⃣)。なお、状態準備における誤りは、別途考慮する必要はあるだろうが、とりあえず無視されている(これは、特別なことではない)。
さらに、本論文では、次のことがシミュレーションで示されている(☞【4】):『測定ベースのブレイディングを使ったトポロジカル量子計算で、損益分岐点を越えることが可能』。
【2】事前整理
(1) トポロジカル量子計算ー苦難の歴史[*M-3]
トポロジカル量子計算は、原理的には、理想的な誤り耐性量子計算である。しかし、その実現には大きく分けて3つの障害が存在した:
㈠ 非可換エニオン(マヨラナ準粒子)を発見または設計する必要がある。
㈡ マヨラナ準粒子に符号化された量子情報を操作するためには、マヨラナ準粒子を物理的に移動させる(ブレイディングする)必要がある。
㈢ 計算結果を決定するには、マヨラナ準粒子ペアのトポロジカル電荷を測定する必要がある。この測定も、マヨラナ準粒子(ペア)を物理的に移動させる必要がある。
㈠は、トポロジカル超伝導体あるいはトポロジカル絶縁体で、マヨラナ・ゼロ・モード(MZM)を探すというアプローチにより緩和(解決?)された。ただし、「準粒子中毒」という代償を払う必要がある(☞(3)3⃣参照)。
㈡は、測定ベースのブレイディングを導入することで解決された(☞【3】(2))。個々の準粒子を移動させることは、これまで達成されたことのない"偉業"であり❚補遺❚、トポロジカル量子コンピューターの動作中、常に実行する必要がある。そこで、通常のブレイディングを避けて、測定ベースのブレイディングを導入した。
㈢は、トポロジカル超伝導体あるいはトポロジカル絶縁体のトポロジカル相が、フェルミオン・パリティ対称性で保護されたトポロジカル相であることを利用すると克服できる。マヨラナ準粒子ペアのトポロジカル電荷を電子へ、量子力学的トンネル効果により移動させることにより、マヨラナ準粒子ペアを物理的に移動させることなく、トポロジカル電荷を測定できる(☞【3】(2)4⃣)。
❚補遺❚
福井大・東北大・千葉大・東大は、「マヨラナ準粒子を物理的に移動できる」と主張する論文[*M-9]を発表した(25年3月5日@Physical Review X)。舞台は、キタエフ量子スピン液体である。"物理的な移動"は、「スピンの注入」により可能と推論している。
(2) 非可換エニオン
3次元空間には、ボゾン(ボーズ・アインシュタイン統計に従う粒子)とフェルミオン(フェルミ・ディラック統計に従う粒子)という、2種類の粒子しか存在しないことが知られている。ボゾンとフェルミオンは、粒子が従うエネルギー分布によって分別される。多数の粒子の性質を議論することは、粒子の統計的な性質を議論することに他ならない。すなわち、この場合の統計的な性質とは、(エネルギー)分布関数ということになる。他にも、ボゾンは「任意の数の粒子が、一つのエネルギー状態を占有できる」が、フェルミオンは「1個の粒子のみ、一つのエネルギー状態を占有できない」という統計的な性質を、それぞれ持つ。なお、ボゾンとフェルミオンには、同じ統計的性質もある。それは、どちらも同種粒子を2回入れ替えると元の状態に戻る、という性質である。
(数学及び)物理学において、低次元空間は、驚くべき性質を示すことがある。物理における低次元空間とは、1次元もしくは2次元空間である。1次元もしくは2次元空間では、ボゾンでもフェルミオンでもない特殊な粒子が存在可能である。中でも、非可換エニオン粒子と呼ばれる粒子は、同種粒子を2回入れ替えても元の状態には戻らない(という不思議な統計的性質を持つ)。なお、非可換エニオンとは、非可換統計に従う励起という意味であるから、非可換エニオン粒子は非可換統計に従う励起子ということになる。マヨラナ準粒子(☞(3)参照)は、非可換エニオン粒子の一種である。
ここで眠くならないように、先回りして入れ知恵すると、「2回入れ替える」ことは、「1つの粒子を別の粒子の周りで1周させる」ことと等価である。そして、1周させて元に戻らないことから、1周させることが、量子操作(2量子ビットゲート操作)に繋がる(☞(4)参照)。
(3) マヨラナ準粒子、マヨラナ・ゼロ・モード
1⃣ マヨラナ準粒子概要
マヨラナ粒子は、ディラック方程式🐾4の解の一つとして数学的に与えられる、電荷が中性の粒子である。そして、「それ自身が反粒子である」、「エネルギーがゼロである」という奇妙な性質を持つ。1937 年、伊の(「パニスペルナ通りの子供たち」の一人である)エットレ・マヨラナ🐾5によって提案された。標準模型の(エネルギー有効)範囲内における素粒子の中で、マヨラナ粒子は未だ見つかっていない🐾6。その一方、低次元の固体あるいは量子渦においては、「マヨラナ粒子の特徴(つまり、粒子=反粒子)をもった」準粒子が存在可能であることが、理論的に提唱された。この準粒子が、マヨラナ準粒子である。
🐾4 非相対論的なシュレーディンガー方程式を(特殊)相対論に対応させた方程式。英国の物理学者、ポール・エイドリアン・モーリス・ディラックが導いた。マヨラナ方程式とnearly equal。
🐾5 エンリコ・フェルミは、マヨラナをニュートンと比肩する天才と評している。
🐾6 ニュートリノがマヨラナ粒子である可能性は、排除されていないらしい。
2⃣ マヨラナ・ゼロ・モード概要
マヨラナ・ゼロ・モード(MZM:Majorana Zero Mode)とは、「特殊な状態の固体」境界におけるゼロ・エネルギー状態として現れるマヨラナ準粒子のことである。雑に言えば、MZMはマヨラナ準粒子の1種で、量子コンピューターの文脈で現れるマヨラナ準粒子は、MZMである。先に述べた「特殊な状態の固体」の代表例が、トポロジカル超伝導体やトポロジカル絶縁体(☞(5)参照)である。
ちなみに、ゼロ・エネルギー近傍における「ゼロでない有限のエネルギーを持つ”自明な”束縛状態」と、ゼロ・エネルギー束縛状態(マヨラナ・ゼロ・モード~マヨラナ準粒子~マヨラナ粒子)を実験的に識別することが難しい。このことも、マヨラナ準粒子の実験的発見が難しい理由の一つとして、知られている。
3⃣ 準粒子中毒と対応策[*M-3]
トポロジカル超伝導体はMZMを出現させ得る有力なプラットフォームである。しかし残念ながら、MZMを(半導体-超伝導体ヘテロ構造で構成される)トポロジカル超伝導体で出現させることには、代償が伴う。トポロジカル超伝導体が、物質のトポロジカル相ではなく、フェルミオン・パリティで保護されたトポロジカル相であるため、「(何処から電子が闖入してきて)デバイス内の電子数を変更する過程」に対して脆弱である。この脆弱性を、準粒子中毒(Quasi-Particle Poisoning:QPP)と呼ぶ。
QPPに対しては、量子ビット島(☞【3】(1)1⃣参照)にクーロン・ブロッケードを提供する比較的大きな静電エネルギーを組み込むことで、量子ビット島上の MZM の QPP を防ぐことができる(らしい)。静電エネルギーは、デバイス内で発生する準粒子励起から MZM を保護しない。ただし、そのような励起とそれが引き起こす量子誤りは、エネルギーギャップ∆と温度T に対して、 ∆/T によって指数関数的に抑制される。
(4) ブレイディング(braiding)ーここでは、頭出しのみ
(2)で言及した、同種粒子を2回入れ替える=1つの粒子を別の粒子の周りで1周させる、操作をブレイディングという。ただし、マイクロソフトが開発しているトポロジカル量子コンピューター(つまり、本コンピューター)は測定型なので、マヨラナ準粒子(本論文の場合、MZM)を物理的に移動させる(周りを1周させる)ことは、実施しない。つまり、「通常の」ブレイディングは行わない。その理由は、物理的にマヨラナ準粒子(MZM)を移動させることは、困難を伴うためである。ただし、本コンピューターが採用する「測定ベースのブレイディング」は、通常の ブレイディングほど堅牢ではない[*M-4]。
なお、本コンピューターは通常のブレイディングを行わないので、通常のブレイディングについては、❚為参考❚で触れる。測定ベースのブレイディングに関しては【3】(2)で詳述する。
(5) トポロジカル相、トポロジカル超伝導体、トポロジカル絶縁体[*M-5],[*M-6]
1⃣ トポロジカル相、トポロジカル数
旧ソ連の物理学者レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ🐾7は、2 次相転移を説明するためにランダウ理論を、(マヨラナ粒子が提案された年でもある)1937年に導入した。ランダウ理論
は、ランダウ自由エネルギーを最小化するという単純な原理の下で、幅広い相転移現象を説明することができる(現象論である)。このランダウ自由エネルギーに、有名な「秩序パラメーター(口語では、日本語でもオーダー・パラメーターと呼ばれることがほとんど)」が現れる。ギンツブルグ・ランダウ(GL)理論は、雑に言うと、秩序パラメータに位置依存性を取り入れて、ランダウ理論を一般化した理論である。 秩序パラメータに位置依存性を取り入れたおかげで、GL理論は、超伝導転移も扱うことができる。
残念ながら、GL理論では説明できない物質相(トポロジカル相)が1980年代に出現した。量子論的な物質相であり、量子ホール相とホールデン(Haldane)相が知られている。GL理論で説明できないとは、相転移において、「どのような対称性も破られることはなく」、故に秩序パラメーターが現れない、という意味である。そのような物質相(歴史的には、量子ホール相)では、秩序パラメーターの代わりに、「トポロジカル数(あるいは、トポロジカル不変量とも呼ばれる)」をもって、物質相の分類を行うこととなった。トポロジカルという文言は、物理系のトポロジカルな形状から採られている。量子ホール相で言うと、基底状態の縮退度が系のトポロジカルな形状に依存することから、基底状態の縮退度がトポロジカル数となっている。
🐾7 幼少時、数学の神童と呼ばれた。物理学徒にとっては、ランダウ・リフシッツ理論物理学教程で知られている(?)。物理学の世界におけるランダウの基本的な評価は、何でも解けるproblem solverであろう。そして、problem solverゆえに、アインシュタインやファインマンのようなスーパースターにはなれなかった(と見做されている)。
2⃣ トポロジカル超伝導体
(超伝導の標準理論ことBCS理論で説明できる)超伝導体では、電子のクーパー対が形成されるので、電荷が保存しない。このことは、「超伝導体では、電子と正孔とが区別出来なくなる」と解釈することが可能である。正孔は電子の反粒子であるから、粒子=反粒子となる。これは、「電子・正孔対称性」と呼ばれる。この性質(電子・正孔対称性)は、まさにマヨラナ粒子(マヨラナ準粒子)の性質に他ならない。ただし、これだけでは、マヨラナ準粒子は現れない。なぜなら、ボゴリューボフ準粒子と呼ばれる、(クーパー対を壊して励起される)超伝導状態における準粒子はスピン縮退しているので、マヨラナ準粒子とはならない、からである。トポロジカル超伝導体の境界では、スピン縮退が解けるので、境界に出現する励起状態が、マヨラナ準粒子となり得る。つまり、マヨラナ準粒子のベットは、単なる超伝導体ではなくトポロジカル超伝導体である必要がある。
超伝導体で発現するトポロジカル相は、トポロジカル超伝導体と呼ばれる(トポロジカル超伝導相が正しい?)。エネルギー・ギャップのある系(後述)であれば、トポロジカル相はー原理的にはー発現可能である。超伝導体では、クーパー対の形成により(バルク=超伝導体内部に)エネルギーギャップが生じるので、トポロジカル超伝導体そのものは、理屈の上では、珍しくはない(はずである)。トポロジカル超伝導体の境界(エッジ=表面(2次元)や端(1次元))には「バルク・エッジ対応」から、条件が整えば、ギャップが閉じた励起状態=エネルギー・ギャップがない励起状態=ギャップ・レス状態が、エッジに『必ず現れる』。ここで、言及した条件については、下記3⃣を参照(➡条件★と表記)。バルク・エッジ対応も、下記3⃣を参照。
小括すると、条件が整えば、バルクにはエネルギー・ギャップがあるけれども、バルクの端であるエッジではギャップが閉じて、ギャップレス励起状態が『必ず現れる』。以下、エネルギー・ギャップについて、補足する。
エネルギー・ギャップのある系とは、「フェルミ準位までは電子(もしくは準粒子)に占有されていて、フェルミ準位より上のエネルギー・バンドは空いている」系(状態)である。この場合、系に励起を作るには、有限のエネルギーが必要となる。フェルミ準位の上下に隙間(エネルギーギャップ)がない系は、ギャップ・レス状態と呼ばれる。エネルギーギャップがない系では、励起状態を作るのにエネルギーを要しないと考えられる。この励起状態は、今、バルクが超伝導体なので、 粒子=反粒子(電子・正孔対称性)を継承している。こうして(条件が整えば)、マヨラナ準粒子(正確には、マヨラナ・ゼロ・モード)が、トポロジカル超伝導体の境界に『必ず現れる』(はずである)。
なお、超伝導体は、p波超伝導体である必要はなく、s波超伝導体🐾9でも構わない。本論文で採用している超伝導体もs波超伝導体である。
🐾9 いわゆる従来型の超伝導体である。従来型超伝導体は、超伝導相転移に伴なって、巨視的波動関数のU(1)対称性のみが破れる。U(1)対称性以外の対称性が破れた超伝導体を非従来型超伝導体と呼ぶ。p波超伝導体は、時間反転対称性が破れている。
3⃣ バルク・エッジ対応
まず、木で鼻を括ったように・天下り的に、 バルク・エッジ対応を記述すると次のようになる:端のない系(=バルク)のトポロジカル不変量と、端のある系のエッジ状態の個数の間の対応が『バルク・エッジ対応』である。この記述を、もう少し有用な形に変換すると、「条件★『系のトポロジカル不変量がゼロでない整数値をとる』が成立すれば、その系に端をつくると、(ギャップレスの)エッジ状態が、端に(トポロジカル不変量の数だけ)『必ず』現れる」となる。
4⃣ トポロジカル絶縁体
トポロジカル絶縁体は、バルクが絶縁体で、表面(エッジ)が金属という物質である。絶縁体なので、エネルギーギャップは自然に持ち合わせている。従って、トポロジカル相は、原理上、自然に現れる。
バルク・エッジ対応から(3⃣で言及した条件『・・・』が整えば)エッジには、ギャップ・レス状態が必ず現れる。フェルミ準位の中にバンドが存在する物質が金属なので、このギャップ・レス状態は金属とみなすことができる。
トポロジカル絶縁体は、その境界(表面)に超伝導を誘起することによってマヨラナ準粒子を作り出すことが期待できる(。これは、2⃣から明らかであろう)。
❚為参考❚ 通常のブレイディング
非可換エニオンであるマヨラナ準粒子は、同種粒子を2回入れ替えても元の状態には戻らなかった。そして、2回入れ替えることは、「1つの粒子を別の粒子の周りで1周させる」ことと等価であった。やや強引であるが・・・「粒子の周りで1周させる」といったような幾何学的な操作の結果(軌跡)を、代数的に扱う道具の一つとして、「結び目」と関連付けた「組み紐群」が考えられる。結び目(の定義)とは、3次元空間に埋め込まれた円周で、自分自身と交わらないようなもの、である。ビジュ的には、NTTのロゴマーク”ダイナミックループ”をイメージすれば良いだろう。
量子操作を念頭に置き、幾何学的な操作の結果(軌跡)を制御することを射程とするならば、代数的な取り扱いを洗練させることが望ましい。結び目と組み紐を関連付けると代数的な取り扱いが洗練される。その理由は、組み紐が、群を成すからである。 braidingのbraidとは、組み紐のことで、組み紐群は英語でbraid groupと呼ばれる。ブレイディングとは、組み紐群の文脈では、組み紐操作を指し、トポロジカル量子コンピューティングの文脈では、低次元空間において行われる粒子の物理的な入れ替え(断熱的な粒子の交換)を指す。言わずもがな、ブレイディングはユニタリ演算子である。
既述の通り、ボゾンやフェルミオンでは、ブレイディングによって(位相の変化は起こり得るものの)元の状態に戻るので、面白味は全くない。一方、(マヨラナ粒子の特徴を継承する)マヨラナ準粒子の場合、ブレイディングによって、例えば、状態遷移が起こる可能性がある。つまり、粒子の交換によって、情報を制御できる可能性がある。これは、新しい方法で情報制御が可能になるという意味においても興味深いが、より重要なポイントは、「粒子の交換という、荘厳にして重厚長大的操作」をわざわざ行って、情報を制御しているというところである。ここ(本稿)では、「荘厳にして重厚長大的操作」という大衆文学的表現を使ったが、物理的には単に、「非局所的操作」と呼ばれる(ので味気ない)。
いずれにしても、言わんとすることは、「粒子の交換という荘厳にして重厚長大的操作(非局所的操作)」に比べると、「微々たる攪乱」などは取るに足らず、情報制御に影響を及ぼさないであろう、という期待が持てる。つまり、マヨラナ準粒子(MZM)を量子ビットとして用い、ブレイディングによって量子操作(正確には、量子ビット・ゲート操作)を行った場合、微々たる攪乱=ノイズに対して安定した量子計算が可能であろう、という期待ができる。ただし既述の通り、ブレイディングによって実現できる量子ビット・ゲートは、クリフォード・ゲートのみである。つまり、Tゲートは実現できない。
‖チョイ足し‖
蘭QuTech他🧼1は、「特殊な材料や複雑な製造技術を必要とせずに、スケーラブルなトポロジカル量子ビットに近づけるかもしれない」セットアップを提示した(論文[*M-15]の公開@nature nanotechnologyは、25年3月31日)。そのセットアップのバックボーンはお馴染みの、「量子ドット・ベースのキタエフ鎖」である。量子ドットは、静電ゲートを介して、トポロジカル超伝導ナノワイヤで繋がっている。トポロジカル超伝導体の、半導体バックボーンがアンチモン化インジウム(InSb)で、超伝導体がアルミニウムである。
量子ドットの数を2から3つにすると安定性が増した。もう少し正確に言うと、マヨラナ・ゼロ・モードの特徴である「ゼロバイアス・コンダクタンス・ピーク」が安定した。残念ながら、量子ドット数を2から3に増やしても、量子ビットのコヒーレント時間は、実際の量子計算に必要なしきい値には到達しない。しかし、5あるいは6に増やしていくと、コヒーレンス時間がミリ秒単位に到達し、しきい値に近づくことが、シミュレーションで示された。
🧼1 イスラエルQuantum Machine(量子S/Wスタートアップ)、蘭アイントホーフェン工科大学、英オックスフォード大学。
【3】本論文における技術要素
(0) 総括
1⃣ 4つの世代
ロードマップでは、トポロジカル量子コンピューターの開発を、次の4世代に分けている:①測定ベースの量子ビット・ベンチマーク・プロトコルを可能にする「1量子ビット・デバイス」。②測定ベースのブレイディングを使用して、1量子ビットのクリフォード演算を実行する「2量子ビットデバイス」。③物理量子ビットではなく、論理量子ビットで実行した場合の2量子ビット論理演算の改善を示すために使用できる「4×2=8量子ビットデバイス」。④2つの論理量子ビットでの格子手術のデモンストレーションをサポートする「トポロジカル量子ビットアレイ」。
なお上記デバイスには、以下が必要である、とする:「トポロジカル位相、量子ドット、干渉測定に適切なループを作成できる量子ドット間の結合を支える超伝導体・半導体ヘテロ構造」及び、「高速で、誤りが少ないシングル・ショット測定を実行できるマイクロ波読み出しシステム」。
本論文は、上記が全てクリアされた、と主張している。
2⃣ 本コンピューターの利点
❶ 1つの論理量子ビットの面積が約5µm×3µm であるため、1チップに106オーダーの量子ビットを収めることができる。
❷ 物理的な操作はマイクロ秒の時間スケールで実行できる🐾10。このため、実用規模の計算の実行時間が数時間から数日の範囲に短縮される。
❸ ㊀アイドル時に量子ビットに生じる誤りの発生及び、㊁測定誤りの発生は、パラメータによって指数関数的に抑制することができる。
➍ 従来の量子ビットは通常、制御パルスの正確な成形に依存するが、測定ベースのトポロジカル量子ビットは、よりデジタルな性質を持っている。制御パルスに対する、この「デジタルな性質」により、デバイスの調整と制御が大幅に簡素化される。
🐾10 マイクロ秒は速くない。超伝導量子ビットの場合、1量子ビット・ゲートの操作時間はナノ秒、2量子ビット・ゲートの操作時間は数十~数百ナノ秒、とされている。ただし、本コンピューターの場合、超伝導モダリティの量子ビット・ゲート操作に相当する操作は、物理的な操作ではない。
(1) テトロン
0⃣ 概要
トポロジカル超伝導ワイヤ(☞下記2⃣㊀)と普通の超伝導ナノワイヤ(☞下記2⃣㊁)からなるセットアップを、[*M-3]では超伝導島、本論文では量子ビット島と呼ぶ。量子ビット島は、MZMとその担体という理解で良いだろう。量子ビット島(正確には、量子ビット島+下記2⃣㊂+2⃣㊃)に、MZMが4つある場合、テトロンと呼ばれる🐾11。従来の量子コンピューターとのアナロジーで言えば、MZM=物理量子ビット、量子ビット島=論理量子ビット、となる[*M-3]。
🐾11 MZMが6つあれば、ヘキソンと呼ばれる。また、テトロンに関して、線形テトロン(linear tetron)、両面テトロン(twoーsided tetron)の違いは割愛した。本論文で述べられているテトロンは、正確には、両面テトロンであるが、本論文でも、単に「テトロン」と呼んでいる。
1⃣ サマリー
㊀ 符号化率(量子ビット・オーバーヘッド)≒1/9:物理量子ビット=MZM、論理量子ビット=量子ビット島=MZM×4。加えて、量子ドット×5が、補助量子ビットに相当すると考えられる。
㊁ フットプリント:1論理量子ビットの面積=3μm×5μm。例えば、チップサイズを20mm2とした場合🐾12、およそ130万論理量子ビット🐾13を収めることができる。故にスケーラビリティがある、とする🐾14。
㊂ 幾何形状:カタカナで言えば、エ(え)。アルファベットだとHを90°回転させたもの。
㊃ 接続:近接する量子ドット及び”横に細長い”量子ドットとMZMとが接続。量子ドットは、トンネル接合で接続される(☞下記2⃣㊂及び㊃、並びに4⃣を参照)。
㊄ 構造と材料:トポロジカル超伝導体と半導体のヘテロ接合構造。材料は、☞下記3⃣を参照。
🐾12 半導体の場合であって、例えば90nmプロセスの場合、チップサイズは、16mm2らしい。12nm/16nmプロセスの場合は、4mm2らしい。
参照先:https://www.toptdc.com/solution/lsipro/tsmc_faq.html#unit-1170
🐾13 20mm2/3μm×5μ=20/15×10-3×2/10-6×2=1.33×106
🐾14 本論文では、「it is possible to fit millions of qubits onto a single wafer」と書かれている(ので、文言の選択が、やや変であろう)。
2⃣ 構成要素
テトロンの構成要素は、以下㊀~ ㊃の4つである:
㊀ 2 本の平行な1次元トポロジカル超伝導ワイヤ。ワイヤ両端に、MZMが局在している。ワイヤ2本×ワイヤの両端(つまり2か所)にMZM=MZM×4である。トポロジカル超伝導ワイヤの長さは、3~5 µmである。超伝導体なので、当然、極低温に冷やす必要がある。
㊁ トポロジカル超伝導ワイヤの中点を接続する、”普通の”超伝導ナノワイヤ。長さは、約 1 µm。㊀と㊁を合わせた幾何形状は、カタカナで言えば、エ(え)。アルファベットだとHを90°回転させたもの。
㊂ 5つの量子ドット。水平ワイヤ(つまり、トポロジカル超伝導ワイヤ)の各端点に隣接して量子ドットがある(したがって、MZM にも隣接している)。加えて、下部水平ワイヤに平行な、長い量子ドットがある(ので、2ワイヤ×2端点+1=5量子ドット)。この長い量子ドットのおかげで、デバイスの左側と右側を接続できる。MZMと量子ドットは、測定を通した量子操作に使われる。
㊃ 5つの量子ドットを互いに結合するトンネル接合。及び、量子ドットとMZMを結合するトンネル接合。トンネル接合は、読み出し(干渉測定)に使われる。
3⃣ 材料[*M-7]
トポロジカル超伝導ナノワイヤは、s波超伝導体・半導体ヘテロ構造に基づいている。ヘテロ構造は、市販の半絶縁性 InP(リン化インジウムあるいはインジウム・リン)ウェーハ上に成長している。組成傾斜バッファ層を使用して、格子定数を InP の 0.587 nm から InAs(インジウム砒素)の 0.605 nm に近い値に変換している。
活性領域は、組成傾斜バッファ層上に構築され、25 nmの In0.845Al0.155As下部バリア、9.1 nm 厚の InAs 量子ドット、6 nm 厚の In0.88Al0.12As 上部バリア、および 60 nm 幅、3.5 nm 厚のアルミ(Al)ストリップで構成される。
4⃣ 検出原理
MZMと隣接する量子ドットとの間を単一電子トンネル接合することによって、量子ドットのエネルギー・スペクトルの状態依存シフトが誘発される。このシフトは、量子ドット近くにあるゲートの静電容量(量子静電容量)の変化として測定できる。さらに、この静電容量の変化は、当該ゲートに結合されたマイクロ波共振器の周波数シフトとして検出される。
5⃣ 量子誤りの発生が指数関数的に抑制される
❑ 以下長々と書いているが、結論は、物理誤り率10-4が可能、ということで良いであろう。物理量子ビット誤り率は、QECしきい値を下回る必要がある。QECしきい値は10-3と見做されているところから、10-4(しきい値誤り率の10%)が採用されている(と理解)。❑
本論文では、本コンピューターの量子誤りは、アイドル時に発生する誤り(以下、アイドル誤り)と測定誤りに限定して考えている。厳密には、他の量子誤りも考える必要がある(☞【4】(2))。ここではアイドル誤りと測定誤りの発生が、パラメータに対して指数関数的に抑制される(制御可能である)と、本論文が主張するロジックを書き下す。
㈠ アイドル誤り
アイドル誤り は、従来型の量子ビット描像で言うと、低エネルギー状態への緩和等を原因として発生する量子誤りである。MZMを物理量子ビットとする本コンピューターでは、「エネルギー・ギャップを越えて、MZMを別の準粒子に励起させる」熱変動が、アイドル誤りを駆動する。熱変動は、exp(−∆/kBT)でスケールする。ここで、∆はエネルギー・ギャップで、kBはボルツマン定数、Tは温度である。故に、アイドル誤りの発生はエネルギー・ギャップをパラメータとして、指数関数的に抑制できる、ことになる。
物理誤り率として10-4をターゲットにした場合、本論文は、∆/kBT~12が望ましいと指摘する。そうすると、kB≒1.38×10-23J/K、 T~102K、1J≒6.24×1018eVなので、∆~12×1.38×10-23[J/K]×6.24×1018[eV/J]×102[K]=12×1.38×6.24×10-3eV≒0.1eVとなる。このエネルギー・ギャップは、2025年時点のエンジニアリング力で実現可能という理解で良いのだろう(か?)。
㈡ 測定誤り
測定誤りは、古典的な測定誤りと、量子的な測定誤りに分けられる。古典的測定誤りの発生は、信号対雑音比(SNR)によって制限され、測定時間で指数関数的に抑制される。ただし、量子状態は変化する可能性があるため、「測定時間が長くなると、量子誤りが発生する可能性も高くなる」と本論文で述べられている。もっとも、これはアイドル誤りであろうから、エネルギー・ギャップで、頑張って発生を抑制するということになるだろう。
量子的な測定誤りは、測定に関与する MZM と測定に関与しない MZM 間の結合によって発生する。結合の強さは、exp(−L/ξ)でスケールする。ここで、Lはトポロジカル超伝導ナノワイヤの長さ、ξ はトポロジカル相における超伝導コヒーレンス長である。故に、量子的な測定誤りの発生は、「ナノワイヤの長さと超伝導コヒーレンス長の比」をパラメータとして、指数関数的に抑制できる、ことになる。
物理誤り率として10-4をターゲットにした場合、本論文は、L/ξ~20が望ましいと指摘する。ξ=プランク定数×フェルミ速度🐾15/超伝導のエネルギーギャップ、L~10-6mとした場合、超伝導のエネルギーギャップ~20×プランク定数×フェルミ速度/10-6
≒20×(1/2π×)6.63×-34[J・s]×6.24×1018[eV/J]×1.5×106[m/s]/10-6[m]≒1.98×10-2eV
となる。(従来型の)超伝導のエネルギーギャップを、1.76×kBTcであるとすると、臨界温度Tc=130[K]となる。大気圧における最も高い超伝導転移温度は135K(なので、L/ξ~20は妥当なのであろうか)。
🐾15 フェルミ面上の電子の速度。ここでは自由電子を考えており、光速の0.5%程度である。
(2) 測定ベースのブレイディング
0⃣ 通常の測定型量子計算と測定型トポロジカル量子計算ー類似点と相違点
測定ベースのブレイディングという表現(文言)は、通常の(=トポロジカル量子計算ではない)測定型量子計算から借用されている。測定型量子計算が量子テレポーテーションをベースとして実行されるように、測定ベースのブレイディングも、量子テレポーテーションをベースとして実行される(と理解している)。ブレーディングさせることなく、適当な基底で測定することによって、ブレイディングさせた場合と同じ結果を、得ることができる。
通常の測定型量子計算は、量子クラスター状態(リソース状態)のサイズが十分に大きければ(何度も測定を繰り返すことができれば)、任意のユニタリー変換を施せる。トポロジカル量子計算の場合も同様に、測定ベースのブレイディングを繰り返すことで、任意のユニタリー変換を施せる。ただし、通常の測定型量子計算の場合、測定毎にエンタングルメント・リソースが消費されるので、最初に大きなサイズの量子状態を準備する必要がある。しかも、準備する量子状態は、マルチパータイト・エンタングル(ド)している必要があるので、大変である。測定型トポロジカル量子計算の場合は、測定毎にエンタングルメント・リソースが消費されないので、繰り返し測定することが可能であり、十分に大きな量子状態を最初に準備する必要はない。マルチパータイト・エンタングル(ド)している必要もない。
1⃣ 測定ベース・ブレイディングの概要
測定型トポロジカル量子コンピューターでは、物理量子ビットに対して、直接クリフォード・ゲートを実行する必要はない。格子手術操作を通じて、論理量子ビットに対して直接実行される。必要な「物理操作」は、量子誤り訂正を実行するために必要な測定と、汎用量子計算を実現するための非クリフォード・ゲート(T ゲート)だけである(正確には、魔法状態の準備と魔法状態蒸留)。
クリフォード操作はトポロジカルに保護されている。テトロンの場合は、1量子ビット(MZMが2つ)および 2 量子ビット(MZMが4つ)測定を通じて、クリフォード操作を完全に実行できる。これらの測定は、パウリ基底による射影測定で行われるが、測定シーケンスは一意ではない。一般に、特定のクリフォード・ゲートを生成するために、さまざまな測定シーケンスを使用できる。
ただし、各テトロンにおけるMZM×4のフェルミオン・パリティ合計が固定されるため、このパリティを維持する測定しか実行できない。また、すべての測定では、各量子ビット島に偶数のマヨラナ演算子を含める必要がある。
2⃣ 1量子ビットゲート操作に対応する測定シーケンス
1量子ビット・クリフォード群Cには24個の要素があるが、C のパウリ同値類[C]の要素は、(恒等演算子Iに対応する同値類[I]を含めて)たったの6個である:[I]、[H]、[S]、[HSH]、[SH]、[HS]。そこで、本論文では、パウリ同値類に対する測定シーケンスの例を上げている。ここで、パウリ同値類[C]は、
[C] = {C′ ∈ ℭ|PC′ = C}
と定義される。ここで、ℭ は1量子ビットに作用するユニタリー演算子のクリフォード群、P はパウリ演算子である。例えば、位相ゲートSの同値類[S]は、4つの測定シーケンスで構成される(右から左に適用される):
XI測定・YI測定・ZZ測定・XI測定
この場合、2量子ビット測定は1度だけ(ZZ測定)である。最初と最後のXI測定については、次のように言及されている:「X 基底の補助量子ビットを初期化してリセットするため、一連のゲート操作でそのうちの 1 つを省略できる可能性がある。しかし、これには後続のクリフォード操作間で量子誤りが伝播する潜在的なリスクが伴う(ため、省略しない方が良いだろう)」。
なお、[SH]、[HS]の測定シーケンスは5つである。[HSH]、[SH]、[HS]は、2量子ビットの測定が2回である。
3⃣ 強制測定[*M-4]
測定結果は確率的であるため、特定の測定が、望ましい結果をもたらすことを保証することはできない。ただし『測定プロセスが非破壊的であれば』望ましい結果が得られるまで測定を繰り返すことで、望ましい結果を得ることができる。この(ように繰り返し行われる)測定は、強制測定(forced measurement)と呼ばれる。測定ベースのブレイディングにおける測定は、エンタングルメント・リソースを消費しないので、測定プロセスが非破壊的である。従って、 強制測定を行うことで、望ましい結果を得ることができる。望ましい結果を得るために n > N 回の試行が必要となる確率Probは
Prob ≤ (1 − 1/d2)N
である。ここで、dは1以上の適当な数という理解で十分である。つまり、大きな試行回数の必要性は、指数的に抑制される(ので、望ましい結果が得られるまでに強制測定を行う回数は、それほど大きくないと考えられる)。
4⃣ 干渉測定
【2】(0)で既述の通り、計算結果を決定するには、マヨラナ準粒子ペアのトポロジカル電荷を測定する必要がある(らしい)。この場合の射影測定は干渉測定と呼ばれ、マヨラナ準粒子(ペア)の”物理的な移動”、が必要である。マイクロソフトは、この”物理的な移動”は、マヨラナ準粒子ペアのトポロジカル電荷を電子へ、量子力学的トンネル効果により移動させることにより、「実際には、マヨラナ準粒子ペアを物理的に移動させることなく」、トポロジカル電荷を測定できる、と主張する。具体的な測定プロトコルは、超伝導ナノワイヤに結合した量子ドットの静電容量(量子容量)を調べることで、一対の MZM が共有するフェルミオン・パリティを射影測定する、というものである。読み出しには、三重量子ドット干渉計(TQDI)を使用する。
マヨラナ準粒子ペアを物理的に移動させることなく、トポロジカル電荷を測定できるという主張を実証するため、マイクロソフトは、本論文とは別に、フェルミオン・パリティのシングルショット干渉測定を行った論文[*M-8]を公開した(25年2月19日@nature)。結果は、割り当て誤り率1% で測定が可能というものである(☞【5】(4))。なお、割り当て誤りとは、測定用量子ビットの反転誤り、という意味である。
(3) 量子誤り訂正における測定[*M-3]
MZMベースのトポロジカル量子コンピューティング・アーキテクチャでは、パウリ演算子の測定がトポロジ的に保護されたパリティ測定に変換される。このため、(パウリ)スタビライザー符号は、このアーキテクチャに理想的にマッピングされる。つまり、量子誤り訂正におけるスタビライザー測定(シンドローム抽出、あるいはパリティ検査)がトポロジカル的に保護されるので、攪乱に強いということになる。言い換えれば、量子誤り訂正ラウンドにおいて発生する(発生が危惧される)量子誤りは、少ないと考えて良いのだろう。
ただ、当初提案されたスタビライザー符号の実装では、重みの高い測定に依存していた。MZMベースの文脈で言えば、多数のー具体的には、8つのMZM測定に依存していた。これは、スタビライザーの重みが8であることに相当し、ハードウェア効率が低いため、スタビライザー符号の実装が実現困難になることが危惧された。例えば、通常の量子コンピューティングにおける表面符号では、検査演算子は4つのパウリ演算子の積で表現される。つまり、スタビライザーの重みが4である。これにならって、[*M-3]では、1つの量子ビット島(☞(1)0⃣)と最近傍・量子ビット島での、2-MZMまたは 4-MZM測定で事足りる実装法が提案されている。ただし、テトロンには4つのMZM(状態空間の次元数が2)しかない。このため、テトロンを「論理量子ビット」として使う場合、データ量子ビットおよび補助量子ビットを十分に収容できず、テトロン単独では、重み4のスタビライザー測定を実行することはできない。代わりに、テトロン(=論理量子ビット)のペアを対象とすることで、重み4のスタビライザー測定が実行となる。
なお、スタビライザーの重みが低いスタビライザー符号としては、フロケ符号がある(フロケ符号については、こちらを参照)。これをもって、本論文では、MZMをモダリティとする(測定型)トポロジカル量子コンピューターの量子誤り訂正符号として、フロケ符号が適する、と主張している。
(4) 魔法状態(蒸留)とTゲート[*M-3]
ブレイディングは、クリフォード・ゲートのみを実現できる。ゴッテスマン・ニルの定理は、クリフォード・ゲートのみで構成された量子コンピューターは、古典コンピューターで効率的に(多項式時間オーバーヘッドで)シミュレートできると述べる。つまり、量子優位性は非クリフォード・ゲートが鍵を握っているが、ブレイディングでは、非クリフォード・ゲートを実現できない。
ただし、魔法状態を使う(準備する)ことで、Tゲートはクリフォード・ゲートで実現できる(Tゲートを作用させた結果と同じ結果を、クリフォード・ゲートだけを使って得ることができる)。従って、Tゲートを適用する能力は、魔法状態を生成する能力(正確には、高忠実度な魔法状態を生成する=魔法状態を蒸留する能力)と同等である。そして、重要なことであるが、魔法状態の準備(及び魔法状態蒸留)が、クリフォード操作のみを使用して可能なことである。ただし、ハードウェア効率は低い。つまり、大量の物理量子ビットを必要とする。オリジナルの定式化における魔法状態蒸留は、クリフォード操作のみを使用し、15の低忠実度・近似魔法状態を消費して、忠実度が向上した魔法状態のコピーを1つ生成するプロセスである。
言わずもがな、魔法状態の準備(及び魔法状態蒸留)は、測定のみによって可能である。それは、魔法状態が回転ゲートを適用することで得られることから、自明であろう。物理量子ビット・レベルで近似魔法状態を準備できれば、高忠実度のクリフォード ゲートを使用して近似論理魔法状態の準備も可能になる。
魔法状態蒸留を効率的に行うには、忠実度の高い近似魔法状態を生成する必要がある。そのためには、MZM島と量子ドットとのトンネル接合部で、相対的なトンネリング振幅を”いい感じで”調整することが必要となる。これをハードウェア的に表現すると、製造の均一性と各接合部の慎重な調整が必要になる。本論文では、それは大きな障害にならないと楽観視している。
【4】シミュレーション結果
(1) 概要
量子メモリ実験において、論理量子ビットの誤り率と物理量子ビットの誤り率を比較して、損益分岐点の議論を行っている。ノイズモデルは、(2)を参照。結論としては、論理量子ビットの誤り率<物理量子ビットの誤り率で、損益分岐点を越えている、という結論である。ちなみに、他のモダリティ(超伝導やトラップイオンなど)で、量子メモリ実験における損益分岐点は、ヌルっと越えている。
もう少し具体的な内容を述べれると、スタビライザー測定は、ZZ測定である。論理量子ビット・ペアのZZ測定と、物理量子ビット・ペアの ZZ測定とを比較する。ZZ測定の場合、論理群は、XX および ZI によって生成されるので、損益分岐点を判断する指標である論理改善率Λを、
Λ=(λXX+λZI)/(λL[XX]+λL[ZI])
で表している。ここで、λPは、物理量子回路におけるパウリ演算子Pの平均誤り率であり、λL[P]は、論理量子回路における平均誤り率である。量子誤り訂正ラウンド数Nを変化させた場合の誤り率に対して平均をとり、論理回路と物理回路における平均誤り率を計算する。
(2) ノイズモデル
ノイズモデルには、割り当て誤り(測定ビット反転誤り)pa、1量子ビットのパウリ誤りp1、及び2 量子ビットのパウリ 誤りp2が含まれる。量子ビットがアイドル状態であるタイムステップでは、1量子ビットのパウリ誤りが適用される。パウリ基底Pで1量子ビット測定が行われているタイムステップでは、割り当て誤りと1量子ビットのパウリ誤りが適用される。
パウリ誤りは、すべてのパウリ誤差が等確率で発生するようにモデル化されている。これは、脱分極ノイズと同じアーキテクチャである。なお、「パルスシーケンスの動的誤差により、1量子ビットのパウリ誤差の確率が高まる可能性がある」こと、「相関のある 2 量子ビット パウリ誤差が、2 量子ビット測定中の電子交換によって発生する可能性がある」ことが追記されている。
さらに、量子ビットの「コヒーレントな回転」によって、割り当て誤り pa、1量子ビットのパウリ誤りp1、及び2 量子ビットのパウリ 誤りp2では捕捉されない追加の誤差が生じることが、言及されている。
(3) 結果
pa=1%としたとき、p1が0~およそ7%の範囲に対して、p2が0~およそ0.7%の範囲に対して、論理改善率Λが1を越えるケースが存在する。つまり、損益分岐点を超えるケースが存在することが、シミュレーションの結果、示された。あるいは、損益分岐点を超えるために要請される、1量子ビット誤りと2量子ビット誤りの範囲が推定された。
【5】考察
(1) トポロジカル量子ビットを使った量子計算は、「バルク・エッジ対応の恩恵を被って、量子ビットがトポロジカルに保護されているため、攪乱に強い」ことが、特有の利点として上げられている。つまりコヒーレント時間が長いという主張である。実のところ、コヒーレント時間は、長ければ長いほど良いというわけでもない🐾16。トポロジカル量子計算のより重要な利点は、ブレイディングという非局所操作で量子操作(量子計算)が可能なことである。量子計算に計算誤りをもたらす操作のほとんどは、局所操作と考えられる。非局所操作は、量子誤りをもたらす操作とは異なる種類の操作と考えて良いので(もしくは、そう考えられるのならば)、非局所操作であるブレイディングは、量子計算に計算誤りを、それほどもたらさないであろう(と考えられる)。
ただし、そのような利点をもたらす非局所操作は、大きな利点の裏返しで、実行が難しかった。マイクロソフトが20年の歳月と資金を投入して研究しても実現できなかった。そこで、測定ベースのブレイディングにpivotした。測定ベースのブレイディングと言っているが、あくまで測定なので、非局所操作にはなっていない。従って、ブレイディングほどの利点はもたらさない。マイクロソフトのトポロジカル量子計算は、結局のところ極言すると、攪乱に強い量子ビットという性質に頼っている、ことになるのだろう。そうなると、トポロジカル量子コンピューターは、他モダリティと隔絶しているとまでは言えなくなるだろう。
🐾16 量子ビットのコヒーレント時間が長いと、量子ビット・ゲートの操作時間が長くなるとされる。つまり、計算時間がかかり、量子計算の利点の一つが損なわれてしまう。
(2) 本論文及び関連論文[*M-8]で、MZMの存在確認に関して言及されていない。そもそも、どうすればMZMの存在が確認できるのだろうか(☞【6】追記、参照)。これまで、MZMの存在確認は、各国の学術機関等で間接的な確認がいくつか行われてきた(例えば、こちらを参照)。ただ、本来は直接的な確認が望ましいだろう。ブレイディング(物理的な粒子交換)で演算可能な「キテレツ」量子ビットは、マヨラナ準粒子に限定されると考えられるので、MZMの直接的な確認は、MZMを使った量子計算を実行することだと言えるだろう。マイクロソフトは、測定ベースのブレイディングなので、 物理的な交換は行っていないが、それでも量子計算ができれば、MZMが存在すると判断して良いのだろう。
実際にマイクロソフトはマヨラナ1というチップを作っているので、第三者がマヨラナ1で何らかの量子アルゴリズムを実行した結果を発表すれば、それで直接的な確認は終了ということで良いだろう🐾17。
🐾17 ジョン・プレスキル(カリフォルニア工科大学)教授は、25年2月20日のX(旧ツイッター)に、「マイクロソフトはロードマップの中で、トポロジー的に保護された量子ビットを実証するためのプロトコルを説明している。このテストが成功したという証拠は公表されていない。近いうちにまた発表されることを期待している」と投稿している。
(3) MZMがモダリティであれば、量子ビット数を数百万へスケールアップさせることは容易かもしれないが、量子ビットのスケーラビリティは未検証と思われる。測定ベースのブレイディングは堅牢性に欠けるので、量子ビットをスケールアップすることで、相関のある2量子ビット誤りが、想定外に多く発生するようなことも考えられるであろう。
相関のある2量子ビット誤りは、つまり準粒子中毒(Quasi-Particle Poisoning:QPP)である。本論文でOPPに対する軽減策が提案・考案されているが、その有効性の程度までは検証されていない(と思われる)。
(4) 本論文で実施した干渉測定は、トポロジカル相の MZM と自明相の低エネルギー・アンドレーエフ束縛状態を明確に区別しない。つまり、トポロジカル電荷の測定であることを、必ずしも保証しない。このことは、[*M-8]で言及されている。
(5) 魔法状態蒸留を効率的に合成できる、及び近似魔法状態を生成できることは、実証されていない。(と思われる)。
【6】追記
(1) 概要
英セント・アンドルーズ大学及びスイスのバーゼル大学に属する理論物理学者Henry F.Leggは、「マヨラナ・ゼロ・モード(MZM)の存在を確認したというマイクロソフトの主張は疑わしい」と主張する論文[*M-10]をarXivにて公開した(25年2月26日)。マイクロソフトは、2021年に発表した論文[*M-11]にて、「超伝導体-半導体ハイブリッド・デバイスにおけるMZMのトポロジカル相の存在と範囲を決定するためのプロトコルを開発した」。このプロトコルは、「トポロジカル・ギャップ・プロトコル(TGP)」と呼ばれる。マイクロソフトは[*M-12]において、このTGPを使い、MZMの存在を確認したことになっている。Henry Leggは[*M-10]で、[*M-12]におけるMZM存在確認は疑わしい、と主張した。
返す刀で、[*M-12]に依存している[*M-8]も疑わしい、と主張している。
(2) 疑わしいと主張する根拠
疑わしいと主張する根拠は、大別すると2つ存在する:
1⃣ TGPの結果は、実験パラメータ及びデータ解像度に依存している。つまり、TGPの結果には、物理的な真正性がない(し、信頼性がない)。☞下記(3)参照。
2⃣ TGPの信頼性を評価したシミュレーション結果が誤っている。つまり、TPGの結果には、信頼性がない。☞下記(4)参照。
(3) TGPの結果は、実験パラメータ及びデータ解像度に依存している
0⃣ 本質的な問題
TGPは、バルクバンド・ギャップの識別に、しきい値を使う。このしきい値は、低バイアスを含む任意のバイアス電圧での、最大非局所コンダクタンスによって設定されている。そのため、しきい値が、物理的実体(物理量)とは関係がない、単なる実験的設定(=実験パラメータやデータ解像度)に依存してしまっている。
なお、[*M-12]のTPGは、オリジナルである[*M-11]のTPGとは異なることも指摘されている🐾18。
🐾18 そのこと自体は、問題ないであろうが、Leggは不信感を抱いている。そういった部分が、やや偏執狂的な印象を与える。マイクロソフトで量子コンピューティング開発を率いる理論物理学者チェタン・ナヤックは、「Leggの批判は、Leggが私たちの論文の偽の藁人形を作り、それを攻撃している、と要約できる」と発言している[*M-13]。
1⃣ 具体的にー磁場
次のような例があげられている:(あるデバイスは)磁束密度を1.4T~2.8TにするとTGPに合格するが、1.8T~2.8Tに縮小すると不合格になる。この理由は、磁束密度範囲の変更によって、非局所コンダクタンスの最大値がシフトするためである。
2⃣ 具体的にーバイアス電圧
1⃣と同じで、範囲の変更によって、TPGに合格か不合格か、が変わる。
3⃣⃣ 具体的にーカッターペア数
望ましいTGPの結果を得るために、さまざまなカッターペア数を選択できる(ので、恣意性がある)。
4⃣⃣ 具体的にーデータ解像度
TGPの結果は実験解像度の選択に依存する。TGPでは、関心領域として識別されるには、領域に少なくとも7ピクセルが含まれている必要がある。そして、7ピクセル要件は、デバイス固有の特性ではなく、データの選択された解像度によって決まる。
(4) TGPの信頼性を評価したシミュレーション結果が誤っている
マイクロソフトは、TPGのシミュレーション結果に、「偽陽性は含まれていない」と論文[*M-12]で主張している。TGPコードとシミュレーションの公開データを使って、Leggが再現検証したところ、偽陽性が存在した。なぜ、そのような齟齬が生じたか?というと、論文[*M-12]では、2種類の異なるTGPコードが使われているからであった。具体的には、論文[*M-12]の表2と図では、yield_analysis.pyとpaper_figures.pyという異なるPythonコードが使われている。
(5) まとめ及びフォローアップ
1⃣ 結局のところ『ゼロ・エネルギー近傍における「ゼロでない有限のエネルギーを持つ”自明な”束縛状態」と、ゼロ・エネルギー束縛状態(マヨラナ・ゼロ・モード~マヨラナ準粒子~マヨラナ粒子)を実験的に識別することが難しい』というところに帰着していると思われる。換言すれば、間接的な確認証明は無理ではないだろうか。従って、マヨラナ1で量子計算を実行するして、直接確認するしかないように思える。マイクロソフトの広報担当者は、PRB🐾19の編集者から連絡があった場合、Leggの批判に公式に反応すると述べた[*M-13]。
🐾19 [*M-12]はPhysical Review B(PRB)に掲載されている。
2⃣ 米国物理学会(APS)が主催する会議「グローバル物理学サミット2025」🐾20にて、マイクロソフトにおける量子コンピューター開発の責任者Chetan Nayakが発表を行った(25年3月18日)。ネイチャーニュース[*M-14]によると、疑問は解決されていないようである。
🐾20 2025年は量子力学誕生から100年の節目ということで、春の学会(March meetingとApril meeting)が合体して、グローバル物理学サミットとして行われる。
━|エキゾチック量子ビット|━━━━
量子コンピュータの論理量子ビットは、いくつかの種類がある。超伝導、イオントラップ、光量子、中性原子(冷却原子)、シリコン(スピン)量子ビット、ダイヤモンドNV、が代表的である。なお核磁気共鳴(NMR)で操作される原子核スピンは、スケールアップが見込めないという理由で、ほぼ圏外である。
先にあげた種類以外にも、exoticな量子ビットが研究されているので、以下にまとめた。さらに、量子ビットではなく、量子ビットの古典アナロジーたる論理素子も、いくつか研究されているので、併せてまとめた。もちろん、網羅性は保証の限りではない。
なお、東北大学電気通信研究所が研究している、確率論的コンピュータ・pビットは、タイプが異なるので、ここでは取り上げていない[*0]。
【1】時間結晶[*1]、[*2]、[*3]
ランカスター大学(英)、ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校、ランダウ研究所(露)、アールト大学(フィンランド)の国際研究チームは、マグノンからなる 2 つの結合された時間結晶(フロケ時間結晶、あるいは離散時間結晶)を使って、巨視的な 2体系を形成させた、と発表した(22年6月2日)。時間結晶をエンタングルすることは可能となったが、量子ビットとして利用されるかは不明。もちろんCNOTゲートの実装、という動きも、見受けられない。
Quantinuum及びフラットアイアン研究所の研究者は、イッテルビウム・イオンの配列にフィボナッチ・パターンのレーザーを照射することで、離散時間・時間準結晶が形成されることを示した(22年7月)[*20]。この時間準結晶は、制御エラー、クロストーク・エラーに対して堅牢であるという。フラットアイアン研究所は、"最も賢い億万長者"チャールズ・サイモン(とその妻)が設立したサイモン財団が運営する研究所の一つ。
━ 時間結晶とは ━
時間結晶とは、「強い相互作用における漸近的自由性の理論的発見」で2004年にノーベル物理学賞を(共同)受賞したフランク・ウィルチェックが、2012年に予言した、物理的平衡状態である。ちなみに、ウィルチェックは、エニオンの名付け親でもある。2015年に、そのような平衡状態は存在しないことが数学的に証明された(証明したのは日本人)。
もともと、時間結晶は、空間方向に適用されていた、並進対称性の自発的破れを空間方向に拡張するというアイデアであった。先にあげた証明は、「連続的時間並進対称性が自発的に破れて、離散的時間並進対称性に移行することはない」ことの証明であった。したがって、(高い)離散的並進対称性が自発的に破れて、(低い)離散的並進対称性に移行することは、可能である。多体局在を示す系では、安定的に実現可能であることも示された。この時間結晶は、フロケ時間結晶と(も)呼ばれる。
2017年に2つの独立なグループが、時間結晶を実現したと雑誌(nature)に投稿した。ハーバード大を中心とする日米独のグループ(NVセンターを使用)と、メリーランド大のグループ(トラップイオンを使用)である。2020年には、離散時間準結晶が存在することが、東京大学の研究により明らかになった。Googleは2021年8月、量子コンピュータ(NISQマシン)内に、離散時間結晶を観察できる環境を作ったと発表した[*4]。同年9月、独ハンブルグ大は、開放量子系で初めて(離散)時間結晶を実現した。
‖参考1‖
離散時間結晶(フロケ時間結晶)を使って保護することで、忠実度0.59超・最大60量子ビットのGHZ(Greenberger-Horne-Zeilinger)状態(典型的な2成分のシュレーディンガーの猫状態)を生成したことが、報告された(2024年1月16日@arXiv[*44])。浙江大学他の成果。
‖参考2‖
中国・浙江大学他の研究者は、「トポロジカル秩序🐼1のある(離散時間)時間結晶」を観測した、と報告した(24年10月17日@nature communications[*55])。正確には、プレサーマル🐼2状態における観測であり、かつ長寿命である。「トポロジカル秩序のない」時間結晶は、トラップイオン、NV中心、中性原子、超伝導量子ビットなどで観測されていたが、「トポロジカル秩序のある」時間結晶の観測は、未解決であった。今回、18 個のプログラム可能な超伝導トランズモン量子ビットを実装したシステムにおいて、観測を報告した。
トポロジカル秩序のない時間結晶は、離散的時間並進対称性の破れが、局所的なオブザーバブルのダイナミクスにのみ現れる。対して、トポロジカル秩序のある時間結晶は、非局所的な論理演算子に対してのみ、離散的時間並進対称性の破れが現れる。量子デバイスに対する要求と実験的困難さが高く、中国勢がそれを有しているというアピールになっている(と思われる)。
🐼1 トポロジカルな形状に基づく秩序を、トポロジカル秩序という。ランダウ(が提案した相転移の現象)論における秩序のアンチテーゼとなっている。
🐼2 初期状態を外場で駆動した"励起状態"から、(熱)平衡状態に緩和するケースを考える。緩和にはいくつかの段階があるが、プレサーマル状態は、励起直後に現れる励起状態の一つ。初期状態を強く反映するという性質を持つ。出所:https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/269385/1/bussei_el_101215.pdf
【2】分子量子ビット
一般に、分子材料を用いた量子ビット(分子量子ビット)は、以下のような優位性を持つと考えられている:㊀特定の量子ビット構造を精密に作成できる、㊁化学構造を変化させることで量子ビットの特性を制御できる、㊂多数の量子ビットを集積化できるスケーラビリティがある。
(1) カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のアナスタシア・アレクサンドロワ教授は、ハーバード大などと協力して、量子官能基と呼ばれる”分子ベース”の量子ビット(分子量子ビット)を研究している。この研究に、米国国立科学財団(NSF)は3年間で、US$1.8milを提供した。米陸軍研究局(the Army Research Office)、米空軍科学研究局(AFOSR)の支援も受けている[*5],[*6]。
化学において、官能基は、母体分子に結合し、化学的特性や化学的反応性を付加する原子団(基、グループ)である。量子官能基はエンタングルした原子団(主構造は、カルシウム-酸素構造)であり、母体分子に結合しても、エンタングルメントを失わない(レーザー冷却にも耐える)。そのため、母体分子に量子官能基が結合して生成される”分子量子ビット”は、数兆個にまでスケーリングできる、とアレクサンドロワ教授は考えている。
CNOTゲート(2量子ビットゲート)の実装は、今後の課題となる。
(2) 東北大学は、分子スピン量子ビットのスケーラビリティを阻害する要因を解決する技術を開発したと発表した(23年1月24日)[*24]。分子スピン量子ビットの優位性は、電子スピン共鳴(ESR)測定技術の精度の高さに基づく。しかし、従来手法では十分なESR検出感度を得るため10億個もの分子のスピン集団が必要とされ、スケーラビリティの障害となっていた。今回、単一分子ESRに成功し、障害の一端を克服したとする。
(3) シカゴ大学は、量子超化学を実験的に確認したと発表した(論文[*32]掲載が23年7月24日)。量子超化学は、同じ量子状態にある粒子が集合的に加速反応を起こす現象。ボーズアインシュタイン凝縮状態のセシウム原子で確認した。量子超化学の結果生成される分子は、同じ分子状態(量子状態)を共有するので、量子ビットとして使える可能性はあるだろう。
(4) ハーバード大[*39]、プリンストン大[*40]の研究者は、それぞれ別に、極低温分子の量子もつれを作成したと発表した(23年12月7日)。フッ化カルシウム分子を光ピンセット・アレイで補足し、分子間の双極子相互作用を使って、ベル状態を生成した。分子量子ビットによる演算は、一般に低速である、と言われている。一方、分子量子ビットは、自然にqutritを構成することができる。このため、量子ゲートの数は少なくて済む(ハードウェア効率は高い)と考えられている。
(5) 九州大学の研究者は、室温で分子量子ビットを生成したと発表した(24年1月3日)[*45]。有機金属構造体(MOF)に発色団分子を閉じ込めることで実現した。分子量子ビットは、1重項分裂(singlet fission)を介して生成される5重項多重励起子で、いわゆる"qudit"である。qubit(量子ビット)の代わりにqudit(多重量子ビット)を使うことで、量子ゲートの数を減らすことができる。つまりハードウェア効率が高くなるので、誤り耐性汎用量子コンピュータ実現を近づけると期待される。今回、分子量子ビットの量子コヒーレンスは、室温で100ナノ秒以上観測された、としている。
(6) 英ダラム大学の研究者は、「魔法の波長」の光から形成される光ピンセットを使って、高忠実度の分子エンタングルメントを実現したと発表した(25年1月15日@nature[*56])。検出可能なリーケージ誤りのみによって制限される"忠実度0.924"の2分子ベル状態を準備した。リーケージ誤りを訂正すると、忠実度は0.976になった。この結果をもって、「量子科学の幅広いアプリケーションにおいて、超低温分子を使用する基本的な障害はないことが示された」と主張する。
(7) 熊本大学の研究者は、コバルトイオンが金属-金属結合によりつながった三核コバルト錯体分子Co₃(dpa)₄Cl₂(dpa=2,2′-ジピリジルアミド)が、スピン量子ビットとして機能することを明らかにした[*65]。ミリ秒オーダーのT₁およびマイクロ秒オーダーのT₂を示す。
【3】量子ビットを古典回路で模擬する1・・・φビット
2021年12月、(米ミシガン州にある)ウェイン州立大学とアリゾナ大学の研究者が、非線形音響波が量子ビットの古典アナロジーとなりうるという論文(scientific report)を発表した[*7]。電磁波や音響波などの古典的な波は、量子エンタングルメントを連想させる属性を持つことができる。
もちろん、古典的なエンタングルメントは、量子系特有の「非局所性」を示さない。また、次のような”好ましい”違いもある:「古典的エンタングルメントの重ね合わせは、量子エンタングルメントの重ね合わせとは対照的に、直接測定可能な複素係数を伴う。その結果、古典的エンタングルメントの重ね合わせは、デコヒーレンスの影響を受けない」。
このような差異にもかかわらず、音響波の指数関数的に複雑な非分離・非線形重ね合わせは、量子エンタングルメントの重ね合わせの古典アナロジーとなる可能性がある。ちなみに、線形系では、テンソル積ヒルベルト空間の次元は制限されてしまうので、ダメである。非線形古典的系であれば、次元が指数関数的にスケーリングするケースがある。その具体的な一つのケースが、以下のφビットである。
非線形音響波による量子ビットの古典アナロジー(以後、φビットと呼ぶ)は、結合された音響導波路の外部駆動アレイにおける、非線形音響場のスペクトル分割から生じる。各φビットは、2状態自由度を持つ非線形振動モードであり、その状態は、周波数と導波路間の2つの独立した相対位相によって特徴付けられる。非線形系である多重φビットシステムは、指数関数的にスケーリングするテンソル積構造を与えることができる。
同じ研究グループは、2022年8月、φビットでCNOTゲート実現したと論文(scientific report)で発表した[*8]。今後、どのように進展するか楽しみである。
理論研究は、着実に進んでるようである:外部駆動型音響導波路アレイからなる物理系における、Φビットの振る舞いの起源を明らかにする論文が、Scientific Reportsで公開された(23年1月12日)[*23]。
【4】量子ビットを古典回路で模擬する2・・・LC共振器ビット
東京大学の江澤講師(及び共同研究者)は、LC共振器のキャパシタンスやインダクタンスを時間的に制御する事により、CNOTゲート等を具体的に構成する事により、電気回路を用いたユニバーサル量子計算を実行する方法を提唱している[*9]、[*10]。
2020年12月、arXivに投稿した論文[*11]で、1組の LC 共振器によって、 1つの量子ビットをシミュレートすることを提案している。LC 共振器の静電容量とインダクタンスを調整することで、CNOTゲートを構築している(位相シフトゲート、アダマールゲートは、言わずもがな構築済)。量子機械学習が物理学の進展に大きく貢献するという前提の下で、量子計算を古典回路で再現することにより、FTQCなどを待たずに物理学を進展させることに、研究者の興味はあると思われる。今後、どのように進展するか(どういう方向に展開していくのか)楽しみである。
【5】量子ビットを古典回路で模擬する3・・・nビット
MITの応用数学者は、ネマティック液晶のトポロジー欠陥(以後、nビットと呼ぶ)の挙動が、量子ビットの挙動に「数学的」に類似していることを示した[*12]。つまり数学的には、n ビット(ネマティック・ビット)を量子ビットのように扱い、nビットを使用して量子コンピューティング・アルゴリズムを実行することができる。
前者2つとは異なり、物理的にはヒヨコ段階である。少なくとも、数学的類似性を示すための前提が、物理的に合理的であるかを実験で確かめるステップが控えている。それをクリアして、予算がつけば、CNOTゲートの構築というステップに移行するだろう。
【6】固体ネオン表面の電子
米アルゴンヌ国立研究所が率いる研究チームは、固体ネオン表面に(フィラメントから)電子を吹き付けることによって形成される新しい量子ビット(プラットフォーム)の作成を発表した(22年5月)[*13]。ネオンは不活性ガスであり、電磁ノイズが低い堅牢な環境を提供する。超伝導共振器を使って、マイクロ波で量子ビットを制御する。T2は200ナノ秒以上。CNOTゲート(つまりは、非クリフォード・2量子ビット・ゲート)構築には至っていない。
👉 この量子ビットに対して、新しい成果が発表された(arXivにて23年2月、論文[*37]公開)。T2とT2で、ともに0.1msを達成した。次の3つの進歩により、達成されたとする:❶最高の表面品質を追求するために固体Neをアニーリング(焼き鈍し)した、❷背景ノイズを10Hz以下にするために電子捕獲ポテンシャルを安定させた、❸電荷ノイズに影響されない(スイート)スポットで、量子ビットを操作した。
98.1%の読み出し忠実度(シングルショット読み出し)、1量子ビットゲート平均忠実度99.97%(クリフォード・ゲート・ベースのランダム化ベンチマーク)を達成した。2量子ビットゲートは未構築ながら、2つの1量子ビットを同じ共振器に、同時に強結合することに成功した。
(1) 理化学研究所や産業技術総合研究所(らによる国際共同研究グループ)は、表面弾性波(SAW)によって、伝搬する単一電子の量子状態を制御することで、量子ビットの電気的操作を初めて実現したと発表(21年2月)[*14]。SAWを使って飛行量子ビットを実現するアプローチは"クラシカル"である。当該量子ビットは、アーサーDリトルのレポート[*15]にもある通り実証研究の段階であるが、この量子ビットを用いて量子コンピュータを構成すると、他に比べてシステム構築に必要なハードウエアが小さくなるというメリットがある。
(2) 東京大学は、22年9月30日「電磁場により真空中に浮遊する電子の運動状態を、観測・制御する手法を発明した」と発表した。超伝導量子回路若しくは、トラップイオンを媒介にして行う。2量子ビットゲートの構築まで、どのくらい要するだろうか?
(3) 韓国科学技術院は、冷却したルビジウム原子を0.65m/秒という速度で4.2μm投げた、ことを報告した(23年3月)[*27]。現状の成功確率は、94%。
(4) NTT他†は、電子による飛行量子ビットの動作を実証した、と発表した(プレスリリース[*41]は24年1月16日、論文[*42]公開は23年12月14日)。実証したとは、量子重ね合わせ状態を確認した、という意味である。マッハ・ツェンダー干渉計は、グラフェン,六方晶窒化ホウ素(hBN)及び金属電極を積層して、作製した。単一電子は、ローレンツ波形の電圧パルスを電極に印可することにより、生成させる。電圧パルスがローレンツ波形を持てば、クリーンな(電子のみ励起させ、正孔を励起させない態様で)単一電子を発生可能であることは、Levitovにより発見された(故に、この電子をレビトンと呼ぶらしい)。また、この単一電子源は、仏原子力庁サクレー研究所で、2013年に実現されている[*43]。
† 仏原子力庁サクレー研究所、物質・材料研究機構、韓国科学技術院。
(5) プラズモン波束の固有状態を飛行量子ビットとして使うというアイデアがある。プラズモン波は、互いに相互作用する電荷の集団である。大阪大学・産総研・理研・東京大学・仏国立科学研究センター(CNRS)・独ボーフム大学の研究者は、ファブリーペロー共振器を制御することで、プラズモン波束の固有状態を操れることを実証した[*64]。あくまで実証レベル。
[参考] 米ワシントン大の研究者は、(遷移金属ジカルコゲナイドである)2セレン化タングステンの2層薄膜を使って、単一光子とフォノンの相互作用エネルギーを電圧で制御できることを示した(23年6月)[*29]。つまり、フォノンを媒介して、離れた量子ビットを制御する(結合する)可能性を示した。
【光子の軌道角運動量】[*16]
電子が、スピン角運動量と軌道角運動量という2つの角運動量を持つことは広く知られている。実は、光子もスピン角運動量に加えて、軌道角運動量を持つ。光子のスピン角運動量は、偏光回転に由来する一方、軌道角運動量は、電磁場振動の位相の回転に由来している。1992年に指摘され(横モードがラゲール・ガウス・モードの光は、偏光に由来しない角運動量を持つ)、2002年に計測された。スピン角運動量は、左回り・右回りに対応して2値しかとれない(故に、量子ビットになる)が、軌道角運動量は無限値である。なお、中性子のような重い粒子にも、軌道角運動量を持たせることができる[*17]。
(2) 伊・仏の研究者は、①(光の)軌道角運動量を運ぶ単一光子を『ほぼ決定論的に』生成する光子源、及び②スピン角運動量と軌道角運動量をもつれさせた「2光子エンタングルメント状態」を生成できるプラットフォームを、実験的に実装したと発表した(23年8月30日、論文[*35])。
(3) 光の軌道角運動量を量子ビットとする量子コンピューターを開発する伊のスタートアップRotoniumが、シード資金として€1milを調達した(24年8月)[*48]。Rotoniumは2022年設立。
❚参 考1❚
(ややこしいことに中国ではなく台湾の)清華大学の研究者は、「単一光子波束に、32のタイムビン・モードを符号化し操作することにより、単一光子でショアのアルゴリズムを実装した」と発表した(24年9月3日@Physical Review Applied)[*50]。高次元であれば単一光子であっても、誤り耐性量子コンピューターが必要と言われるショアのアルゴリズムを実装できる、という驚くべき成果。もちろん因数分解した整数は小さい(具体的には、15)。しかし、市販の(40GHz帯域幅の)電気光学変調器を使って、「時間的に長い単一光子に、5,000個を超えるタイムビン・モードを符号化することが可能」とする。もちろん数が増えると操作は困難になるが(ノイズも考慮すべき?)、このアプローチは、AES256を解くまで、どれだけ離れているのだろうか。
❚参 考2❚
千葉大学・大阪公立大学・東北大学・産総研の研究者は、「光のスピン角運動量と軌道角運動量を、半導体中の電子の空間スピン構造へ転写することに成功した」と発表した(プレスリリース[*51]@24年10月24日、論文[*52]@24年8月25日)。
❚参 考3❚
米スタンフォード大学他の研究者は、室温で動作し、「光子の軌道角運動量と電子のスピンとの間に、量子もつれを生成させる」ナノスケールの光デバイスを実証した、と発表(25年11月29日)[*63]。この光デバイスは、ナノパターン化されたシリコン固体基板上に、薄くパターン化された「2セレン化モリブデン(MoSe₂)」層を積層して作られている。MoSe₂は、遷移金属二カルコゲナイドと呼ばれる材料群の一つで、優れた光学特性を有している。
分散型量子コンピューティング及び、量子インターネットへの応用が期待される。
【9】立方晶窒化ホウ素
六方晶窒化ホウ素(hBN)のカラーセンターは、ダイヤモンドのカラーセンターよりもさらに明るい色を発する。しかし、決められた場所に欠陥を生成することは難しく、カラーセンターのオンとオフを切り替える信頼できる方法もなかった。このため、実用化への道は遠かった。米エネルギー省傘下のローレンス・バークレー国立研究所はhBNに対して、3つのブレークスルーを成した[*18],[*19]。①結晶界面をねじることで、カラーセンターを確実に活性化することに成功。②単純な印加電圧によって。オンオフ制御に成功。③電子ビーム処理により、カラーセンターを正確に空間的に配置することに成功。制御性を向上させたことにより、量子ビットの候補となれるかもしれない。
【10】コロイド状量子ドット
ダイヤモンドNVセンターより、大量生産に勝るという主張。2量子ゲートといった話は、遠い。
中国科学院大連化学物理研究所のWu Kaifeng教授が率いる研究チームは、 溶液成長させた量子ドットを用いて、室温でスピンの初期化、コヒーレント量子状態制御、読み出しに成功したことをNature Nanotechnologyにて報告した(22年12月19日)[*21]。
近年、ダイヤモンドNVセンターなどの、固体物質中の点欠陥によって、室温でのスピン・量子ビット操作が可能になった。ただ、こうした点欠陥のスケールアップ生産は、困難とも言われている。
一方で、溶液中で作られる微小な半導体ナノ粒子「コロイド量子ドット(QD)」は、以下のような特徴を持つ:❶溶液中で大量に合成できる、❷低コスト、❸サイズや形状を精密に制御することができる、❹室温で長寿命のスピンコヒーレンスを実現できる可能性がある。しかし、コロイドQDにおいて、室温での「スピンの初期化、回転、読み出し」を同時に行うことができる、量子ドットシステムは、存在していなかった。
中国研究者は、溶液成長させたCsPbBr3ペロブスカイトQDによって、上記課題を以下のように、クリアした。
(1) 円偏光フェムト秒パルス励起の後、表面に固定した分子アクセプターにサブピコ秒電子捕捉を行い、正孔スピンを初期化する。
(2) 横磁場により、正孔スピンのコヒーレントなラーモア歳差運動が誘起される。
(3) ペロブスカイトQDの非常に強い光-物質相互作用により、2回目のオフ共鳴フェムト秒パルスが光学的シュタルク効果によって、スピンをコヒーレントに回転させる。
【11】トランズモン人工分子withダブル導波路
2つ以上の原子の集合体(分子)は、光に対して完全に透明な状態で存在することができる。これは、光を放出も吸収もしない、暗黒状態と呼ばれる特定の重ね合わせ状態である。
スウェーデンのチャルマース工科大学の研究者らは、(互いに結合したトランズモン量子ビットからなる)人工分子と2本の導波路を結合させた(22年9月)[*22]。光子を導波路を通して原子に送り込むと、2つの異なる対称性をもつエネルギー準位と相互作用することができる。それゆえに、暗黒状態と明るい状態の2つの状態に対して、独立した操作や制御が可能となった。つまり、量子ビットとして使える。エンタングルメントの生成も確認済である。導波路を伝播する、空間的に分離したベル状態(つまりは、2準位系量子ビットの最大エンタングルメント状態)を生成することができる。
重要なポイントは、異なる対称性を持った2つの状態で2準位系を構成している、という箇所である。対称性が異なるため、混じり合うことがレアな事象となることが期待できる。つまり、量子ビットがロバスト(コヒーレンス時間が長い)であることが期待できる。もちろん、コヒーレンス時間だけで量子ビットの優劣は決まらない。ゲート速度が速いこと、高い忠実度も必要となる。
現状、量子ゲートの議論ができる段階にはないようである。
【12】シリコンでマヨラナ準粒子!
南方科技大(中国)・テネシー大学(米国)他の研究者は、シリコンの基板上にスズ原子の単層を1/3だけ成長させ、シリコン層にはホウ素原子を埋め込んだ。スズ層はホウ素原子から電子を奪われて金属化し、高い温度で超伝導を示した[*25]。高温超伝導(非従来型超伝導)は、時空間対称性が破れているケースがある。本ケースでは、スズ層の超伝導波動関数は、時間反転対称性が破れていた。いわゆるカイラル超伝導体である。
カイラル(p波)超伝導体では、トポロジカル不変量で特徴付けられる量子状態が現れる。直截的に言えば、マヨラナ準粒子の発現が期待される。トポロジカル絶縁体を用意すれば、(クーパー対による一番プレーンな)s波超伝導体あるいは、(銅酸化物等の超伝導体である)d波超伝導体との接合系で、マヨラナ準粒子の発現を期待できる。また、強いスピン軌道相互作用の下では、s波超伝導体にマヨラナ準粒子の発現が期待できる。それらと比べて、今回の系は極めてシンプルであり、みんな大好きシリコンを使っているところに、(あくまで)可能性を感じる。
[マヨラナ準粒子に関する参考㈡] 理研は、23年7月25日、2次元トポロジカル絶縁体「2テルル化タングステン(WTe2)」を使ったジョセフソン接合デバイスの作製に成功したが、マヨラナ準粒子の観測には至らなかった[*31]。
[マヨラナ準粒子に関する参考㈢] 阪大・東大・学習院大は、23年12月6日、マヨラナ準粒子を検出可能とする手法を提示した[*38]。具体的には、磁性絶縁体において、マヨラナ準粒子の量子テレポーテーションを検出することによって、存在が検出可能であることを数値シミュレーションで示した。量子テレポーテーションは、走査型トンネル顕微鏡を使った電気伝導度測定で検出する。
[マヨラナ準粒子に関する参考㈣] 東大・京大・東北大は、マヨラナ準粒子の決定的証拠を得た、と発表した(24年3月11日[*47])。(キタエフ)量子スピン液体状態を示すと考えられている磁性絶縁体α-RuCl3(塩化ルテニウム)に対して、確認した。(キタエフ量子スピン液体における)マヨラナ準粒子の磁場下でのトポロジカルな性質は、印加する磁場の方向により変化させることができると理論的に知られている(らしい)。変化するトポロジカルな性質は、エッジ状態の変化(比熱)及びバルク状態の変化(熱ホール伝導度)を通して測定した。測定結果は、マヨラナ準粒子が存在することを強く示していた。
[マヨラナ準粒子に関する参考㈤] 東大は、トポロジカル・ディラック半金属であるα-Sn薄膜の膜面内に、Sn(スズ)ベースの超伝導体/トポロジカル材料からなるヘテロ構造を任意に形成することに成功したと発表した(プレスリリース[*53]24年10月1日、論文[*54]発表は9月30日)。→マヨラナ準粒子を実現するプラットフォームとして期待される。
【13】核スピン
(1) 冒頭で「核磁気共鳴(NMR)で操作される原子核スピンは、スケールアップが見込めないという理由で、ほぼ圏外」と書いた❚為念❚。MITの研究者は、光で核スピンを操作することで、この桎梏から逃れた。Physical Review Xに投稿された論文[*26](以下、本論文)が23年2月14日に公開(Open Access)された。
核スピンと光は固有振動数が6~9桁異なる(核スピン106~ 109Hzに対して、光1015Hz)ため、核スピンを光で直接制御することは困難と考えられてきた。このため、電子スピンを媒介した制御が行われてきた(核スピンは、超微細相互作用を通じて、電子スピンにより制御される)。この従来の制御法には、いくつもの欠点があることを本論文では、指摘している:①電子スピンのコヒーレンス時間は通常、核スピンのコヒーレンス時間よりもはるかに短いため、高速な操作が必要となる。②不対電子スピンの存在は、核スピンのコヒーレンス時間を短縮してしまう。③超微細相互作用の強さは距離とともに減衰するため、電子スピンは比較的小さな核スピン集団しか制御できない。④電子スピンと光子の相互作用は環境に敏感であり、リモートスピン間のエンタングルメント忠実度を大幅に制限する。そこで、局在電子スピンを媒介せずに核スピンを直接光で制御できる手法を提案している。
具体的なアイデアは、「(一部の)原子核が電気四重極を持っているという事実を利用して、核スピンに直接結合する、2次の非線形光学効果(光核四極子効果、ONQ)を誘発する」ことである。ONQは、電気四極子相互作用によって媒介される、電場と核スピンの非線形効果である。2つの周波数ω1とω2を持つ光子を使って、核四極子相互作用を周波数ω1-ω2で振動させる。ω1-ω2を核スピン共鳴周波数に一致するように調整することで、核スピン遷移をトリガーすることができる。量子ゲートの議論には遠いが、量子コンピュータより、量子メモリ(量子中継器)に適用する意向が強いかもしれない。核スピンは、ゼーマン相互作用を介してマイクロ波および無線周波数光子にも結合できる。
(2) ほぼ同じMITの研究グループは、核スピン量子ビットのコヒーレンス時間を20倍にした、という論文[*34]をPhysical Review Lettersにて発表した(同日、つまり23年2月14日)。特定のノイズ源(具体的には熱)が、核四極子相互作用にどのような影響を与えるかを特徴付けることで『同じノイズ源』を使用して、核スピン・電子スピン相互作用を相殺することができた。その結果、コヒーレンス時間を150μ秒から最長3m秒に(20倍)延長することができた。
ポイントは、「ある物理的相互作用によるスペクトルドリフトを、"別の異なる"物理的相互作用を使用して相殺」できると実証したことであろう。
❚為念❚
2004年の書籍[*58]に、「量子コンピューターは、実はもうできている」と書かれている。それが、NMRを使用した7量子ビットの量子コンピューターであり、2001年にIBMが開発した。そして、因数分解を実行している。ただし、この時点でIBMは、「NMRでは、これ以上、量子ビット数を増やすのは難しい」ことを認めていた。
【14】アンドレーエフ・スピン量子ビット
半導体のスピン量子ビットにおいて、長距離にわたるマルチ量子ビット相互作用を実現する目途がたった(かもしれない)。蘭QuTechの研究者は、スピンを直接操作できるように、アンドレーエフ・スピン量子ビットを改良したことを発表(23年5月22日[*28])。
アンドレーエフ・スピン量子ビットは、2003年に提案されている。アンドレーエフ・スピン量子ビットは、アンドレーエフ準位に捉えられた電子準粒子のスピン(自由度)を用いた量子ビットである。アンドレーエフ準位とは、(ジョセフソン接合のような)弱く結合した2つの超伝導体間に現れる、フェルミオン・モードである。初期のアンドレーエフ・スピン量子ビットは、弱く結合した半導体の励起状態で量子ビットが符号化されており、計算空間からの頻繁な減衰(すなわちデコヒーレンス)をもたらした。さらに、量子ビットの直接操作は、難しかった。
今回、超伝導回路の電磁モードと半導体量子ドットにトラップされた電子のスピンを融合した量子ビット(改良アンドレーエフ・スピン量子ビット)が提示されている。改良アンドレーエフ・スピン量子ビットを詳細に言えば、半導体ナノワイヤで作られたジョセフソン接合に閉じ込められた個々の超伝導準粒子のスピンで構成された量子ビットである。ナノワイヤ内のスピン軌道結合により、ナノワイヤを流れる超電流(超伝導電流)は、準粒子のスピン状態に依存する。改良アンドレーエフ・スピン量子ビットは、このスピン状態依存超電流を利用して、コヒーレントなスピン操作を達成する。これは、超電流ベースの結合を利用して、長距離にわたるマルチ量子ビット相互作用を実現することにつながる。もう少し俯瞰的に見ると、共振器量子電磁力学(共振器QED)を使った、量子ビットの制御という見方ができる。この場合は、超伝導回路による共振器QEDなので、回路QEDあるいはcQEDと呼ばれる。cはcircuit(回路)のcである。超伝導回路を、「量子バス」と捉えることも可能だろう。共振器QEDは近年、弱結合から強結合→超強結合→深強結合へと進んでいる。本件は遷移周波数~10GHzであり、超強結合領域に該当する。
スピン反転時間17μ秒、スピン・コヒーレンス時間52n秒を達成している(スピンの直接操作には、スピン反転ラマン遷移を用いている)。ただし、2量子ゲートの忠実度を議論するような段階ではない。
なお、アンドレーエフ準位は、マヨラナゼロモードの「親状態」であり、トポロジカル量子計算を視野に入れていると思われる。トポロジカル量子計算は、ほぼオランダ(QuTech・デルフト工科大学)の独壇場と思える。
【15】フォノン量子ビット
シカゴ大学プリツカー分子工学大学院(PME)の研究者他は、「線形機械式量子コンピュータ」を構築する要素技術を有している旨を主張した(23年6月)[*30]。量子ビットには、(ニオブ酸リチウムの表面を伝わる)表面弾性波フォノンを使う。ホン・オウ・マンデル(HOM)干渉を使って、フォノン間に量子もつれを生成させた。
線形機械式量子コンピュータとは、もちろん、線形光量子コンピュータを意識した言葉である。線形光量子コンピュータは、2001年に発見されたKLM(Knill,Laflame,Milbur)スキームに則った光量子コンピュータである。つまり、線形光学素子、オンデマンドで決定論的に単一光子を生成できる光源、光子検出器のみで、(万能計算可能な)光量子コンピュータを構築することができる。ただし(少なくとも)現状は、オンデマンドで決定論的に単一光子を生成することは困難であり、”非線形”光学効果を用いて、確率的に光子を生成している(ので、光量子コンピュータ苦労している/いた)。
その点、フォノンは決定論的にオンデマンドで生成することが可能である(確率的に生成することが、難しい)。今後は、論理ゲートを作成するステップに移行する(ので、道のりは遠い)。
【16】半導体ナノ構造内の量子ビット
コヒーレント駆動される半導体量子ドットは、量子論理ゲートにとって有望なプラットフォームと期待されている。しかし、量子ドット内の単一電荷キャリアのコヒーレント操作は、基底状態に限定されていた(重ね合わせ状態を作るに至っていなかった)。
中国・浙江大学と独ルール大学ボーフムの研究者は、半導体ナノ構造内に量子重ね合わせ状態を作り出すことに成功したと発表した(論文[*33]は、23年7月24日発表)。絶妙に調整された2つの短波長光レーザーパルスを使用して、正孔による基底状態と励起状態との重ね合わせ状態を(量子ドット内に)作り出した。これまでは、大規模な自由電子レーザーを使用していた。同レーザーでは波長が長すぎて、ビームを量子ドットに正確に集束させることができなかった、という。
【17】二層グラフェン・量子ドットのバレー量子ビット
スイス連邦工科大学チューリッヒ校及び(日本の)物質・材料研究機構の研究者は、二層グラフェン(BLG)・量子ドットの谷(バレー)が、有望な量子ビット候補であることを、論文[*46]で指摘した(24年1月17日)。量子ドットは、単一または少数の電子を閉じ込めることができるナノメートルスケールの箱である。個々の電子の制御に優れているため、量子ドットは、スピン量子ビットの重要なプラットフォームとなっている。グラフェン(や他の炭素系材料)は、スピン軌道相互作用と超微細相互作用の両方が弱い。スピン軌道相互作用は、電子スピンと格子振動との結合をもたらし、デコヒーレンスの原因となる。超微細相互作用は、電子スピンと核スピンとの間の相互作用であり、同じくデコヒーレンスの原因となる。量子ビットにデコヒーレンスをもたらす主因が「弱い」ため、BLG量子ドットはスピン量子ビットに、特に適していると考えられている。
さらに[*46]では、量子ビットとして、スピンではなく、バレーを使用することを検討した。これはバレーが、(BLG量子ドットでは、そもそも「弱い」)スピン軌道相互作用や超微細相互作用の影響を、受けない可能性があるからである。バレー(谷)の名前は、運動量空間で自由電子が極値に存在することに由来する。バレーはシリコンにも存在するし、BLGにおける存在も知られていたが、量子ビットとしての適性は不明であった。
今回の成果は、㊀99%以上の忠実度で異なる谷状態を区別できたこと、㊁バレーの緩和時間は500ミリ秒を超え、スピンよりも1桁以上長いとわかったこと、である。
❚為参考❚
Empa(スイス連邦材料試験研究所)🧀は、量子制御をナノグラフェンで実証することを目指して、CarboQuantプロジェクトを行っている。同プロジェクトは2022年から2032年まで実施され、ヴェルナー・シーメンス財団とスイス国立科学財団の支援を受けている。同プロジェクトの一環として、25年1月に新しい研究所を開設した[*59](発表は25年3月6日)。マイクロ波と電子スピン共鳴を備えた走査トンネル顕微鏡を組み合わせることで、スピンのあらゆる重ね合わせ状態をコヒーレントな方法で検出および制御できる(らしい)。
🧀 EmpaはETHグループの一つ。ETHグループは、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETZH)、ローザンヌ校(EPFL)、ポール・シェラー研究所、森林・雪氷・景観研究所、水科学技術研究所、Empaから形成されている。
【18】ペロブスカイト物質
米ノーザン・イリノイ大学、米アルゴンヌ国立研究所の研究者は、ネオジム・イオンをドープすることで、ペロブスカイト構造を持つ物質(具体的には、ヨウ化メチルアンモニウム)の光誘起励起子の寿命を10倍以上に伸ばした[*49](24年7月19日@nature communications)。これは、光誘起励起子と(近傍の)ネオジムイオンの局在4f電子スピンとの間の反強磁性交換相互作用によって可能になる(らしい)。興味深い点は、ネオジムイオンのドープ濃度を増加することによって、最大10個の電子スピンと量子もつれを生成できる可能性があることである。つまりquditが生成できる可能性がある。
2量子ビット・ゲートの忠実度は低いが、「フィードバック制御またはパルス最適化を使用して低周波ノイズを抑制し、スピン軌道相互作用の影響を、より詳細にモデル化することで、潜在的に改善できる」と分析している。また、2量子ビット・ゲートがexoticであり、今後はCZゲートなどの標準的な2量子ビット・ゲートを調査する意向。
†1 二重量子ドット中の2つの電子スピンを用いて実装される量子ビット。全スピン角運動量が0(1重項:シングレット、S)及び(3重項:トリプレット、T)の状態が、それぞれ量子ビットの0と1に対応する。言わずもがな、2電子の基底状態は、1重項か3重項のどちらかになる。
†2 1番目と2番目の量子ビットをもつれさせ、エンタングルメントを3番目、4 番目の量子ビットへと順に移動させた。最終的に、1番目と4番目の量子ビット間のエンタングルメント状態を実現した。
━関連性は全くないですが、〖酸化亜鉛ヘテロ構造を用いた3重量子ドット〗━
東北大学の研究者は、酸化亜鉛ヘテロ構造を用いた3重量子ドットの形成に成功した、と発表(25年10月21日@scientific reports[*62])。量子ビットとしての実力は未知数であるが、3重量子ドットは、量子セルオートマトン(QCA)効果の発現が期待できる。この文脈におけるQCA効果とは、量子ドット間で複数の電子移動が同時に起こる現象を指すらしい。量子計算に応用すると、面白いことができるのかもしれない。
【20】創発スピン
日本原子力研究開発機構他†1の研究者は、磁場中で核スピンを回転させると、スピンが創発されることを発見した(リリースは25年4月2日、論文[*60]@Physical Review Letters発表は同3日)。具体的には、六フッ化ベンゼンを磁場中で高速回転させ、フッ素の核スピンを測定したところ、1/2スピンが2つ現れた。スピンの創発はフロケ理論によって、説明できる。
重要なことは、以下が示されたこと:(1)オリジナルの核スピン及び創発スピンは、それぞれ独立な1量子ビットとして、量子力学的な操作が可能、(2)2量子ビットとしても、任意の量子操作が可能。つまり、量子コンピューター用の量子ビットとして(あくまで)「適用可能である」ことが、示された。量子演算においてクリティカルとも言える、2量子ビットゲートの忠実度が高いことが期待できる。
†1 東京大学、電気通信大学、中国科学院大学、千葉大学、量子科学技術研究開発機構、理化学研究所
【21】炭化ケイ素中のシリコン空孔
京都大学他†1の研究者は、4H型炭化ケイ素結晶中のシリコン空孔のスピンを、「室温下かつ電気的に、効率良く読み出す」ことに成功した、と発表(25年4月16日、論文[*61]は4月15日付け)。空孔のスピンを活用する量子ビットとしては、ダイヤモンドの窒素空孔(NV)中心が、良く知られている。コストを含めた製造・生産の事情を鑑みると、シリコン系を活要することが、望ましいことは論を待たないであろう。
スピンの読出し技術として光学的なアプローチであるODMR法†2と、電気的なアプローチであるPDMR法†3がある。大規模な光検出系を必要とするODMR法とは異なり、PDMR法はデバイスの集積化・小型化に適する。さらに、理論的には、PDMR法はODMR法よりも信号対雑音比(SNR)が優れていると予想されていた。ODMR法よりも優れたSNRをPDMR法で達成することは、ダイヤモンド空孔では実現していたが、シリコン空孔では未実現であった。
高い電流捕集効率を有したデバイスと2段階レーザー・パルス†4の組み合わせによって、シリコン空孔においてもPDMR法で、優れたSNRを達成することに成功した。とは言え、量子コンピューターへ実装するまでの道は、遠いだろう。
†1 量子科学技術研究開発機構、電力中央研究所
†2 ODMR(Optical Detection of Magnetic Resonance:光検出磁気共鳴)法は、「点欠陥が発する蛍光強度が、電子スピンに応じて変化することを利用して、スピンを蛍光強度の変化から読み出す」。
†3 PDMR(Photocurrent Detection of Magnetic Resonance:光電流検出磁気共鳴)法は、「点欠陥に高強度のレーザーを照射することで生じる光電流が、点欠陥の電子スピンに依存して変化することを利用し、スピンを光電流量の変化から読み出す」。
†4 高パワーのレーザーを長時間照射した場合、信号読み出し効率が悪化しているという観測事実をもとに、「高パワー・短時間パルスと低パワー・長時間パルス」という2段階パルス構成とした。
【尾注】
*0 Pコンピュータ
1⃣ 2019年、東北大学と米パデュー大学の国際共同研究チームは、「磁気トンネル接合で、エネルギー障壁が低い場合は、0と1との2状態間の確率的な遷移を、短い時間周期で繰り返すという性質が、量子ビットと類似している」点に着目し、量子ビットを模した確率ビット(pビット)の開発に成功した。参考:https://news.mynavi.jp/techplus/article/20210319-1816395/
2⃣ 22年12月(3~7日)に開催された第68回国際電子デバイス会議(IEDM)で、進展を発表した(6日)。❶確率動作スピントロニクス素子からなる高性能PビットとFPGAを組み合わせたPコンピュータを作成、❷因数分解に対して、古典コンピュータ(GPU及びTPU)と比べて、演算性能と低消費電力の両立を実証。出所:https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press20221202_02web_spin.pdf 例えば、GoogleのTPUは速いが消費電力が膨大。
3⃣ 以下2点を発表した(23年12月13日):❶順伝播型ニューラルネットワークに基づく計算を行うための新技術を開発した。❷Pコンピュータの動作速度を3桁向上する新素子技術を開発した。出所:https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/12/press20231213-02-ai.html
4⃣ 「pビットを使った並列処理演算において、正答率が大幅に低下する問題」を解消したと発表(24年2月6日)[https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2024/02/press20240206-02-algorithm.html]。p ビット同士の相互干渉が問題であることを特定し、相互干渉を効率的に防ぐアルゴリズムを開発した。その結果、正答率は大幅に向上し、並列処理による高速化も達成した(論文は、https://www.nature.com/articles/s41598-024-51639-x)。
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*1 https://www.eurekalert.org/news-releases/954258
*2 https://www.nature.com/articles/s41467-022-30783-w
*3 時間結晶を巡る論争、日経サイエンス2020年4月号、pp.38-45
*4 https://arxiv.org/pdf/2107.13571.pdf
*5 https://newsroom.ucla.edu/dept/faculty/nsf-funds-ucla-center-to-develop-chemical-qubits-for-quantum-computing
*6 https://www.nature.com/articles/s41557-022-00998-x
*7 https://www.nature.com/articles/s41598-021-03789-5
*8 https://www.nature.com/articles/s41598-022-18314-5
*9 https://www.jst.go.jp/kisoken/crest/evaluation/nenpou/r02/JST_1111101_20347089_2020_PYR.pdf
*10 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/nagaosa-lab/ezawa/Quantum.html
*11 https://arxiv.org/pdf/2012.06124.pdf
*12 https://physicsworld.com/a/topological-defects-in-liquid-crystals-resemble-quantum-bits-say-mathematicians
*13 https://www.nature.com/articles/s41586-022-04539-x
*14 https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.126.070501
*15 UNLEASHING THE BUSINESS POTENTIAL OF QUANTUM COMPUTING (https://www.adlittle.com/en/insights/report/unleashing-business-potential-quantum-computing)
*16 https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/33-05-kaisetsu2.pdf
*17 https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/67978
*18 https://www.newswise.com/doescience/boron-nitride-with-a-twist-could-lead-to-new-way-to-make-qubits/?article_id=779425
*19 Tuning colour centres at a twisted hexagonal boron nitride interface https://www.nature.com/articles/s41563-022-01303-4
*20 Dynamical topological phase realized in a trapped-ion quantum simulator https://www.nature.com/articles/s41586-022-04853-4
*21 Kaifeng Wu et al.、Room-temperature coherent optical manipulation of hole spins in solution-grown perovskite quantum dots https://www.nature.com/articles/s41565-022-01279-x
*22 Mohammed Ali Aamir et al.、Engineering Symmetry-Selective Couplings of a Superconducting Artificial Molecule to Microwave Waveguides https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.129.123604
*23 https://www.nature.com/articles/s41598-023-27427-4#ref-CR1
*24 https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2023/01/press20230124-01-spin.html
*25 https://www.nature.com/articles/s41567-022-01889-1
*26 Haowei Xu et al.、Two-Photon Interface of Nuclear Spins Based on the Optonuclear Quadrupolar Effect https://journals.aps.org/prx/pdf/10.1103/PhysRevX.13.011017
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*29 Adina Ripin et al.、Tunable phononic coupling in excitonic quantum emitters、https://www.nature.com/articles/s41565-023-01410-6
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arXivは、https://arxiv.org/pdf/2408.08138
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