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平成事件簿(2) アートネイチャー事件 

Ⅰ 事件概要(注1)と問題点
 アートネイチャーは、2006年3月9日開催株主総会にて第三者割当増資を決議。 発行価額は、税理士法人算定の時価純資産評価に基づく900円。 株主は、有利発行等を主張し、 株主代表訴訟を起こした。
 東京地裁民事第八部(以下、裁判所)は、
 (1)公正な価額算出にあたり、DCF法及び収益還元法を用いなければならないとまでは言えない。
 (2)時価純資産価額法は、非合理な算定法とまでは言えない。
 (3)専門家による株式価値算定書に基づいた場合、特に不合理な点がないときは、当該算定書に記載された金額を公正な価額であるというべき。
という理由で、900円は、特に有利な価格ではないとした(2014年6月26日判決)(注2)。
 当該案件で問題と思われる点は、「専門家がそう言ってるんだから、いいんじゃね?」という裁判所 (裁判官)の姿勢である。これを、もし少し分解 すると、問題は2点になる。
 1点目は、真実を明らかにする、という姿勢が見えない。元判事の瀬木比呂志氏が主張するように、日本の裁判官は、「政界や財界に弱い」、[最高 裁判所の事務局]の意向に沿う形で判決が下される(注3)、ためかも知れない。
 佐藤明夫弁護士は、日本の裁判所がバリュエーションの絡む事件で奇妙な判断を下す理由に関して、次のように語っている:『(東京地裁民事8部 の守備範囲は伝統的には)会社更生と、もう一つは同族会社内の紛争です。そういうディープでウェットな世界での裁判をやることが中心の人たち で、そこには資本市場の論理ってあんまりなかったのですね。』 [青松(2008),pp.269-270]
 しかし、磯村・山口(2019)を読むと、資本の論理に疎いために専門家の意見に盲従しているわけではないと思われる。「原子力発電所の安全性は、 国が定めたガイドラインに沿って専門家が検証しているのであるから、専門家ではない裁判官が判断する必要はない。」というロジックで判決を下して いると書かれている。同じ構造である。
 クラスアクション制度がない日本では、個人側につく弁護士は大金をつかめない。 そして、「日本では弁護士をすぐに色分けするんだ。(中略)企業 側の人間かどうかをね。個人を代理して大企業を 訴えるような弁護士は、どんなに優秀でも企業は起用しない。」(注4)ことが常識の社会では、優秀 な弁護士は企業側にしかつかない。裁判所までが、財界よりで、良いわけがない。
 まさしく、アンフェアなのは誰か?ということになる。
 2点目は、"専門家というのが怪しい、という点。
 オリンパス事件(注5)では、会計士が、嘘まみれの価値評価算定書で、ポンカス会社の高額買収を正当化し (損失補てんに充て)た。それ以前にも、 例えば、ライブドアや加ト吉は、子飼いの会計士にデタラメな価値評価をさせて、怪しいM&Aを正当化していた(M&Aコミュニティでは周知の事実 である)。

Ⅱ 専門家の言いなりにはなってはいけない
 怪しい第三者割当増資も、弁護士等がお墨付きをつけて、正当化している。
 オプト・イン方式を採用する先進国は米国と日本のみである。オプト・インという用語は、多様な場面で 用いられるが、エクイティファイナンス のコンテクストでは、「(会社法上)既存株主は新株引受権を有する」 ことが当然ではないという立場がオプト・インである。オプト・インでは、第三者 割当増資は、株主は無視して会社都合で自由に行える、ということになる。
 これに対して、新たに第三者に新株を割り当てるためには、当然に存在する新株引受権利を"わざわざ" 手放す手続きを要する、というシステムが、 オプト・アウトである。米国はオプト・インであるが、証券取引所 の規定で、希薄化率20%超の第三者割当増資は株主総会決議が義務付けられてきた。
 このため、日本でも何らかの抑止策が必要と考えられてきたが、経済界の反対で実現されなかった。 すったもんだの末、2009年8月に改正された 有価証券上場規定等で、希薄化率が25%以上となる第三者割当増資、 あるいは支配株主が移動する見込みがある場合は、(緊急性が極めて高い場合 を除き)株主総会決議を必要とした。
 しかし、経営者から一定程度独立した者-典型的には、弁護士。あるいは会計士や税理士-から適正意見を 取得すれば、決議不要という「骨抜き」 手段を用意した。骨抜きを用意したおかげで、怪しい第三者割当増資の防止は 不十分となり、2014年6月ついに、会社法を改正して対応することに なったと思われる。
 裁判官も、そういったことを知らないわけではないだろう。にも関わらず、「専門家たる税理士が算出した数値を信用できないとまでは言えない」 という理由で、判断するというのは、如何なものか。
 カネボウ事件(注6)の株式リスク・プレミアムも、同根である。8.5%という値は、専門家からすれば、ありえない数字である。しかし、「確定的な 数値がない状況で、8.5%という値を使うケースもあるようだから、おかしいとまで は言えない」、という態度であった。専門家の言いなりになってはいけない。

Ⅲ スタンダード(原理原則)を確立してみては如何でしょうか
 問題解決の第一歩は、価格(価値)評価法の標準的手法(スタンダード)を確立することであると思われる。 専門家の主張を鵜呑みにせず、スタン ダードをベースに、透明で公正な議論を尽くせば、ずっと良くなるだろう。
 価値評価にあたり、常にDCF法を使用すべきとは言わない/思わない。使用できない場合もあるし、 適当でない場合もある。しかし、スタンダード の第一候補はDCF法であろう。 そう主張する大きな理由は、DCF法は既に広範な分野で、"実務"に活用されているからである。
 2002年に評価基準が改定され、評価法としてDCF法が既に採用されている不動産投資や、M&A(会社の価値評価) のみならず、ブランド価値評価や 事業再生の分野でも、DCF法は中心的な役割を果たしている。
 "実務"におけるブランド価値の算出で言うと、有名な英インターブランド社の算出方法は、従来の乗数方式から、DCF法に修正されている。また、 インターブランド社員が独立し創設した、英ブランド・ファイナンス社の算出方法も DCFである(注7)。
 日本の日清食品は、ブランドの(社内間)買い取りにおいて、ブランド価値を、DCF法もしくはマルチプルで算出している(注8)。
 事業再生の"実務"においても、資産評価にDCFが使われている。 日本唯一のDRAMメーカーであったエルピーダ・メモリーの更生案件(注9)において、 「半導体製造設備を含む建屋全体(工場財団)」の評価には、DCF法が使われている(注10)。DCF法を採用したロジックは、『更生担保権の範囲は、「時価」 によって画されるところ、工場財団についていえば、「時価」の一般的な評価方法は、 工場財団を一つの不動産とみなす(工場担保法14条1項)ことを前提 として、DCF法を採用すべきとの見解がある(注11)。』 である。
 スタンダードの要件とは、広く知れ渡り、実務で広く使われていることではないだろうか。 そうであれば、第一候補がDCF法であることに異論を 挟むことは困難である。

Ⅳ 先祖帰り?
 なお、アートネイチャーは第三者割当増資について、過去にも争いがある(2004年3月8日開催の株主総会にて決議)。 その際はDCF法が適当とされて いる。
 地裁は、被告が主張するDCF法による算出額に、修正を加えた価格7,897円を公正な価額とし、第三者割当 の発行価額は著しく低廉とした(発行価額 は1,500円)。高裁でも、DCF法による算出額に、修正を加えた価格が 公正とされた。(注12)
 なぜ先祖帰りするのだろう。
 桝田淳二弁護士は1995年、米国企業が、日本企業の子会社へ資本参加を検討していた案件について、驚くべき体験をした。日本企業は、当該子会社 の価値を「簿価」で算出しようとしていたのであった。 慌てた桝田氏は、米国で標準的なDCF法で、価値評価するようにアドバイスし事なきを得たと 言う(注13)。 日経新聞にDCF法という言葉がはじめて登場したのが1996年である(注14)から、笑い話にもなるだろうが、 2010年代半ばの現在では、 そうはいかない。

注1:当該事件は、TMI綜合法律事務所による、2014年を振り返る ビジネス重要判例10(ビジネス法務2015年1月号) でも取り上げられている。
注2:商事法務、No.2039、2014年7月25日号、pp.54-55
注3:選択、2014年4月号、pp.102-103。瀬木氏は、その他にも各種媒体で広く、裁判所/裁判官を批判している。
注4:日本経済新聞社編、いやでもわかる日本の経営、日本経済新聞社、2004、p.131。いわゆる小説形式の ビジネス書で、日本経済新聞社の編集委員 が各章の執筆を担当。 当該箇所は、三宅伸吾氏が担当。同氏は、2013年から参議院議員。
注5:ここでは、オリンパスが2006年から2008年にかけて、 無価値の国内3社(アルティス、ヒューマンラボ、NEWS CHEF)を高額(合計700億円超) で 買収したことを指している。
注6:TOB価格162円に対して、公正な株式買取価格が360円と決定された、カネボウ株式 買取価格決定申立事件(2008年3月14日決定)を指す。
注7:大橋昭一、現代における企業ブランド価値評価理論の動向-統合的ブランド理論の立場からの論調-、 関西大学商学論集、第56巻第3号(2011年12月)、pp.87-110
注8:安藤宏基、カップヌードルをぶっつぶせ!、中央公論新社、2010、p.134
注9:ちなみに、エルピーダが、なぜつぶれたか?・・・については、湯之上隆、 日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ、文藝春秋、2013(p.70)、 を読むことをお勧めする。
注10:小林信明、鐘ヶ江洋祐、小島伸夫、足立学、エルピーダ物語第二回エルピーダメモリの更生担保権 をめぐる諸問題、New Business Law、1022号 (2014年4月1日)、商事法務、p.69
注11:事業再生研究機構財産評定委員会編、新しい会社更生手続きの「時価」マニュアル、商事法務、 2003、pp.185-186
注12:この争いは、2015年2月19日、最高裁にて「客観的な資料に基づく合理的な算定方法で価格を決定すれば、特別な事情がない限り違法とはならない」 との上告審判決が出た。DCF云々は置いといて、相変わらず、つまらない判断が下された。
注13:桝田淳二、国際弁護士 アメリカへの逆上陸の軌跡、日本経済新聞出版社、2010、pp.144-145
注14:田中佑児、M&Aにおける投資価値評価と投資意思決定、中央経済社、2012、p.5
【他の引用文献】
青松英男、企業価値講義、日本経済新聞出版社、2008
磯村健太郎・山口栄二、原発に挑んだ裁判官、朝日新聞出版、2019

  
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