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SUITSはアメリカ過ぎて見るのが辛い。

  SUITS[フジテレビ、月曜21時]は、個人的には大好きなドラマである。しかし残念なことに、事実として視聴率は低迷してる。 その理由の一つは「アメリカ感が過ぎる。」ことだと推量している。
 (NBCとの)契約上、フォーマットの変更ができないためであろうが・・・。
 展開、構成、演出、演技、間合い、掛け合い、台詞。すべてにアメリカ感が過ぎて、違和感を覚える人が多いのではないだろうか。 蟹江貢弁護士を演じる小手伸也氏は、作り手の要求に忠実に応えた演技をしていると思われる。
 過剰なアメリカ感は、仕事ぶりにも表れている。主人公の甲斐正午や鈴木大輔の仕事ぶりは、日本の弁護士とは大きく異なる。

Ⅰ 顧客の立場から言えば、弁護士はコンサルタントであって欲しい。
 弁護士という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶ相手は、知り合いのシステムエンジニアである。彼は東大法学部を卒業したが司法試験 には合格できず、SEになった。彼は「正義の味方になり損ねました。」と言った。正義の味方になりたかった真っすぐな青年が弁護士に なれなかったのは残念であるが、日本でも米国でも、弁護士は正義の味方ではない。あくまでビジネスマンである。
 ただ、広く知られているように、米国の弁護士はコンサルタントである。その意味合いは、「スタートアップと大企業のマッチングイベントが、 法律事務所主催で行われる」というような表面的な事実に限定されない。
 コンサルタントは顧客のニーズを汲み取って、顧客が抱えている根本的な問題を解決することが仕事である。米国の弁護士の多くは、 そういう仕事をする-そして大金を稼ぐ。甲斐正午や鈴木大輔もそうである。SUITS2の第2話が象徴的である。
 対して、ほとんどの日本の弁護士は、まず法律ありきである。法律の条文に顧客の要望を無理やり当てはめて、予見可能な範囲で無難に処理する。
 もう少し具体的に言うと、ほとんどの日本の弁護士は、顧客が何に困っているかを考えずに「Aを主張すれば、法律Bに抵触する可能性があるから、 Aを主張するという戦術は止めましょう。」という発想をする。そして、そこで止まってしまう。
 米国の弁護士であれば「Aを主張しても本来法律Bには抵触しない。Aを主張することでBに抵触するとしたら、それは顧客を困らせている相手が、 Aを主張すればBに抵触する状況を作っているからである。」という発想ができる。故に「Aを主張しつつ、別のCで攻めるという戦術を採りましょう。」 という所に到達できる。
 日本の弁護士が行っている上記のような仕事であれば、確実にAIで対応可能であろう(もちろん正義の味方であれば、AIの出る幕はない)。ちなみに、 ここで述べた日本の弁護士というのは、若手であればBig4(Big5)に所属している弁護士と捉えても差差し支えない。
 顧客の立場から言えば、弁護士はコンサルタントであって欲しい。AIで置き換えられるという脅威が、日本の弁護士をコンサルタントにしてくれる のであれば、歓迎すべきことである。もちろん、その場合AIは強力なサポートツールになるだろう。

Ⅱ 医者がAIで置き換えられるとして、それは患者にベネフィットをもたらすだろうか。
 言わずもがな、弁護士は最難関試験とも呼ばれる司法試験に合格した優秀な人材である。にもかかわらずAIは仕事のやり方に変革を迫る。 その本質的な理由は、日本の弁護士の多くが顧客の役に立っていないからである。
 では、最優秀人材の双璧である医者はどうであろう。
 昔々、医者は「病気を診るのではなく人を診る。」といわれていたらしいが、病気を診るようになって久しい。しかし10年以上前に、それはさらに 進化していたようだ。有名な精神科医である和田秀樹氏は、医者を目指す君たちへ(PHP研究所、2003)という著書の中で「大学病院の専門分化は予想 以上に進んでいて(中略)、病気を診ずに臓器を診る、といわれるくらいだ。」と書いている。もし、これがもっと進んで「臓器を診ずにデータを診る」 になったとしたらどうなるだろう。AIに勝てるだろうか。
 エドワード・フレンケル(青木薫・訳)、数学の大統一に挑む、文藝春秋、2015は、ラングランズ・プログラムについて書かれた本である。著者は(旧ソ連 の)数学者であるが、成績優秀でありながらユダヤ人であることを理由に、基礎数学の研究が自由にできず、大学病院の泌尿器科で医者と共同研究をして いた。1980年代後半のことであるが、結果はかなり衝撃的である。的確でさえあれば、わずか4つのパラメータで、90~95%の患者について医者と同じ 診断が下せるというものである。それは診断プログラムであり、AIとの親和性は極めて高い。つまり、医者が専門分化に突き進むなら、多くの医者はAI に置き換えられるだろう。ただし、人を診る方向に回帰すれば、その限りではない。
 タイトルの疑問に戻ろう。医者をAIに置き換えようとする動きは、医者を病気ではなく人を診る方向、つまり原点に回帰させる。従って、患者に ベネフィットをもたらすだろう。ただし、その場合、AIは医者の強力なサポートツールとなっているだろう。
 ちなみにラングランズ・プログラムとは、(書名から自明であるが)、他の学問と同様に専門分化・細分化された数学を統一する試みとも表現できる 数学的アイデアである。


Ⅲ 視聴率をあげるには、フォーマットをイジるしかないでしょう。
 ここまで書いてきたことは、(医者も)弁護士もサービス・ビジネスに従事しているのだから、顧客志向・デザイン思考というトレンドからは逃れられない、 とまとめることができる。
 甲斐と鈴木の仕事ぶりは、日本式ではなく米国式であるが、既にあるべき姿を体現している。そして、その姿は他のビジネスでは当たり前であるから、 視聴者への訴求力にはならない。
 もう少し丁寧に言葉を繋ぐと、「A:現状=不満、B:願望」という環境下で、ドラマがBを描いていれば、それは視聴者への訴求力になるだろう。 しかし一般の日本人は、日本の弁護士がどういう仕事をするか知らない。不満もないし、願望もない。米国式の仕事をしてもピンと来ない(拍手喝采とは ならない)。
 その点、同じ弁護士ドラマでも、99.9[TBS、日曜21時]やイノセンス冤罪弁護士[日本テレビ、土曜22時]は、訴求力の設計が容易である。
 仕事ぶり以外の訴求点を設計して、アメリカ感を薄めなければ視聴率の向上は見込めないだろう。そこで問題になるのは、フォーマットである。
 B2Cビジネスを展開している外資系企業の日本法人は、同じ苦労をする。日本法人のプレゼンスが大きくなるまで、日本の顧客ニーズに合った商品が (タイムリーに)供給されることはない。
 ただ米国版と異なっている点もいくつかある。
 例えば、検察は刑事専門である。故に検事を辞めて弁護士になっても、企業法務に携わることは、ほぼなく、刑事事件専門の弁護士になると言われている。 ただ刑事弁護は稼げない。そのような背景から、いわゆるヤメ検は、稼ぐために裏社会の代理人弁護士になることが多い。
 甲斐も、99.9の佐田篤弘弁護士(演者は香川照之氏)も検察出身であるが、企業法務に携わっている(ただし劇中では、嫌々ながら刑事事件に専念していく)。 米国版では、甲斐に対応する弁護士は、経験を積むために研修として検事補をやっていたらしい。フォーマットを多少いじれるのだろうが、非現実的な方向 にいじっても無意味な気がする。
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