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M&Aとは一体何なのか?

(1) 露払い
 M&Aとは何だろうか、という疑問は、あまりにチャレンジングであり、今まで誰も真正面から取り組んでこなかったように思われる。身の程をわきまえず大風呂敷を広げても、ろくなことはないが、チャレンジングなテーマだからと言って、天地がひっくり返るような大発見のみを記述すべし、ということでもないと思う。シンプルに考えることによって、ちょっとした事実が見えてくるのではないか、という考えでいきたい。
 前置きはその位にして、まずは昔話で振り返ろう。M&Aほど、誤解が多い経営行為は少ないだろう。もちろん金額的なインパクトが甚大であり、世間の耳目を集めるイベントであるだけに止むを得ないところはある。まさにアメリカ的な行為であり、かつては多くの日本人にとってM&Aは、"悪意のある"、"スキャンダラス"な行為で、馴染みのないイベントであった。
 "お茶の間・買収劇場"と揶揄された、ニッポン放送を巡るメディア界の巨人フジテレビと、新興IT企業ライブドアの騒動で馴染みは増したであろうが、同時にまた、それ以上に、「悪意のある」、「スキャンダラス」な行為であるというイメージが増幅したのではないだろうか。また、(通称)村上ファンドによる阪神電鉄、プリヴェ・チューリッヒ企業再生グループによる阪急電鉄株式の買付けは、明らかに、過小評価されている資産を狙ったM&Aである。これは、80年代に米国で見られた石油会社のM&Aと同じ構造であり、典型的な財務的M&Aである。米国でも、そのようなM&Aが(行き過ぎて)問題となり、買収防衛策としてポイズンピルが盛んに導入されるようになった。そして、インサイダー取引の罪で、ボウスキーやミルケンが逮捕されて、第4次M&Aブームが収束した。
 そして、日本でも一時、ネット業界の寵児と持て囃され、衆議院選挙にまで出馬したライブドアの堀江社長が、逮捕される事態となった。負の面では、20年前の米国と同じ航跡を辿っているが、その後―米国では、ITによる技術革新、ネットベンチャーブームが発生した―は、どうであろうか。

(2)日本の買収・合併振り返り
 ここで、日本の「買収・合併」に寄り道をしてみよう。日本でも過去何度か、M&Aが騒がれたことがあり、1989年はM&Aブーム元年と呼ぶれた。古い本 [注1]に、「最近、新聞を開くと、ほとんど毎日のように、M&Aの記事が目に付く。テレビを見ていても、しばしば、M&Aのニュースにぶつかる」という記述があることに驚くが、実際この時代には、ブーン・ピケンズによる小糸製作所の乗っ取り[注2]、不動産会社秀和による忠実屋及び、いなげやの株式買占め [注3]、高橋産業による宮入バルブの買収等が起こっている。
 意外?にも「買収・合併」は、日本でも古くから行われてきた施策である。公正取引委員会への合併の届け出受理件数で言うと、一旦、1972年にピーク(1,184件)を迎えて減少した後、1988年にその記録を塗り替え(1,336件)、増加傾向を辿った(1989年に1,450件、95年に2,520件)という過去がある [注4]。なお、この「合併の届け出受理件数」は、M&A仲介会社レコフが発表しているM&A件数とは異なる。レコフの数字を使うと、89年は645件に過ぎない [注5]。同じ物差しで図ると、2004年の数字は2,211件であり、2005年上期の数字は1,294件である。
 古い時代の「買収・合併」の多くは、旧通産省が主導した「業界再編」型(1970年の八幡製鉄と富士製鉄、1971年の東亜航空と日本国内航空、等)であったり、あるいは救済型合併(例えば、1977年の伊藤忠商事と安宅産業、1986年の住友銀行と平和相互銀行、等)であったりする。そこに、ハード・ネゴシエーションや英米流の契約、DCFを使ったバリュエーションなどを見ることはできない。純粋な経済行為ではなく、お上あるいは当局の指導で行われる"買収・合併"には、当然、ネゴシエーションもバリュエーションなかった [注6]。

(3) M&A悪者論
 M&Aの悪いイメージを支えている一つの要因が、次の評価である。「ほとんどのM&Aは、失敗する」。しかし、よく考えてみれば、これほど乱暴な評価はない。この主張は、言うなれば、「ほとんどの、新規設備投資は失敗する(投資回収できない)」、「ほとんどの新規事業は失敗する」、あるいは、「ほとんどの研究開発R&Dは失敗する(投資回収できない、リターンを生まない)」と述べることに本質的には等しい。
 精査すれば、新規設備投資は「失敗」することも多いだろう。しかし、将来を完全に予見することが不可能である以上、「失敗」を完全に防ぐことはできない。また、失敗を除去することができないからといって、設備投資を全くしないという経営判断(選択肢)は、ありえない。新規事業も、事実、その多くは失敗しているだろうし、R&Dに関しても最近は特に、(R&D)投資に対するリターンが不十分であると批判されている。また、M&Aの代替的施策であるアライアンスも(成功したように見えるものを含めて)、その多くが失敗している、と言われている [注7]。だからといって、新しいビジネスを手掛けない、研究開発を行わない、アライアンスは一切行いません、という選択肢はありえない。
 しかし決して、こう言いたい訳ではない:『M&Aは失敗が多いけれども、不可避な経営行為であり、決して行わないという選択肢はありえないのだから、失敗には目をつぶりましょう』。
 そうではない。設備投資、新規事業あるいは研究開発のほとんどが失敗する、と主張したとすると、すぐさま反論が起こるはずだ。それは、「あまりに短絡的で、乱暴な意見である」と。「個別の事情、当時の経済環境等を勘案して、なぜ失敗したのかを、実行判断や当時の状況とともに、一体(パッケージ)で判断しなければ、感情論に過ぎず、意味はない」と。こう反論されると、極めて真っ当である、と納得するはずだが、M&Aでは、このような論理展開は、なされない。なぜか、感情的に「M&A悪者論」が蔓延る。
 日本で「M&A悪者論」が蔓延る理由の一つには、M&Aへの無知―一般の経営行為、価値創造行為としての無知―があると考えられる。未知のもの、よく理解できないものには、往々にして、拒否反応が起きるものだ。付け加えるならば、極めて巨額の金が動き、一部のプレイヤー(インベストメントバンカーや弁護士)にそのキャッシュが集中することも、感情論に拍車をかけているのだろう。
 もしかすると、米国でもそうなのかもしれない [注8]。不思議なことに、M&Aは価値創造の手段として、あまり捉えられていない。米国企業は、大量生産・大量販売をベースに巨大化した。少なくとも、60年代までは、巨大な自国市場の旺盛な需要に応えるために、標準化された製品を大量に作って、大量に捌くビジネスは順調に拡大した。米国には、同じ名前の町が少なくない(そのモトネタはヨーロッパである)が、町並みも似通ったところが少なくない。意外なほど画一性を持ち、標準品に素直で、規模の経済が発揮される単純な国なのである。日本ではさっぱり、のウォルマートが米国で流行していることからも、そのことがよくわかる[注9]。日本は、画一的の様に見えて、食料品や嗜好品には、うるさいのである。  スケールメリットを享受するために、米国ではM&Aが次々と行われた(結果として、多くの業界で寡占状態が生じた)。黎明期から、米国のM&Aは、スケールメリットを追求するための、極めて有効な手段であり続けた。このため、殊更、「価値の創造」を考える必要はなかったと考えられる。この点に関しては、もう少し精緻な議論-戦略論を絡めた議論を、後ほど行う。
 数年前から、米国のM&A業界(投資銀行)では、過去のM&Aを反省する傾向が強まった。あまりに「無形資産価値」の評価を、おざなりにしてきた、という反省である。これは、スケールメリットのみを追求して、価値創造という本来の視点を忘れていたという反省とも考えられる。
 米国の事情はさておき、日本では、M&Aは、まだまだstrangerである[注10]。余談であるが、2004年末、戦略系のコンサルタントと会話する機会があったので、次のような質問をしてみた:(貴社のクライアントである)企業経営者は、敵対的買収に関する脅威を感じていますか? 答えは次のようなものであった。「当社の顧客は全て、(時価総額が)兆円企業ですから、(敵対的買収の脅威など)感じていませんね…」。如何に、M&Aが日本で市民権を得ていないstrangerであることが分かるエピソードの一つである [注11]。"お茶の間・買収劇場"で、「敵対的買収」が突然、注目されるようになったのは、それからわずか数ヵ月後のことである。すぐさま、(兆円企業である)松下電器産業が、ポイズンピル(ライツプラン)の検討を開始し、(同じく兆円企業である)NECも定款を変更するなどの予防措置を講じた。

(4)日本企業がM&Aと相性が悪い理由
 さて、日本の企業社会で、M&Aが未だにstrangerである事実は、日本企業のミクロ構造とも深い関係があると考えられる。今では、欧米でも広く知られているように、日本のビジネス・エリートは、「動き」が遅い。これは、もちろん、日本人の判断力が鈍いとか、日本企業には重い階層構造が存在するということが理由ではない。実際のところ、もっとミクロな事情である。
 日本では極一部の例外を除いて、優秀な人ほど、何もしない!そういう傾向がある。日本の減点主義に基づく人事制度にも原因がある [注12]。減点主義というと、すぐさま、役所や銀行が浮かぶ。もちろん、基本的に、そういった職場では、新しいことや斬新なことは、ご法度である。何もしないで、じっとしているほうが、得である(出世する)。
 ところが、減点主義とは(あくまで)正反対の印象を受ける総合商社でさえも、「何もしない」派は主流である。「いついかなる時も、新しいことは何もしないのが一番である」とのたまう商社マンもいるのである(そして、決して少なくない)。いつも、something newを求める米国とは、対極にある発想である。日本では、(いまさら特段、強調することもないが)とにかく、業種業界を問わず、(少なくとも必要に迫られる、ギリギリのタイミングまでは)何もせずに、じっとしていたほうが、得なのである。こういう職場環境では、M&Aの担当者は、まさに「ご愁傷さま」なのである [注13]。
 日本の企業では、主に「経営企画」という名称の部署がM&Aを担当する。出世するには、企業の本流で業績を上げることが近道である。M&Aが「本流」であるという企業は、(投資銀行を除いて)ない(投資銀行でさえ、M&Aが本流になったのは、それほど昔の話ではない)。
 本流でない以上、M&Aには深く関わらないほうが得策である。ましてや、M&Aは、"失敗"が多い。失敗すれば、キャリアに傷がつく。また、M&Aには、特有の知識やスキルが必要である。これをまじめに学ぶのは結構、骨が折れる。また、多くの利害関係者が存在し、調整やら契約やら、胃が痛む仕事が多いし、長時間労働も強いられる(大企業の場合、M&Aの相手や社外関係者との調整よりも、社内の調整にかかる時間、並びに苦労が、はるかに大きい)。これが、クロスボーダーであれば、もう、お手上げである。
 横道にそれるが、米国の法律事務所(例えば、大手でM&Aに強い:クラバス・スウェイン、ジョーンズ・ディ)に電話して、弁護士にアポイントをとれ? など命令されても…たいていは、尻込みするだろう。相手は、まさに米国のエリート。大手法律事務所は、基本的に上位校からしか採用しない。ハーバードのロースクール出身というのが標準だったりする。強いて日本でいえば、監督官庁の課長を「呼び出して来い」?!、と命令されるような緊張感である。しかも、M&A専門弁護士なんて、早口に決まっている!それもただの早口じゃない。中部出身者だったら、米国人でも、「早口で聞き取れない」とツッコミをいれたくなるほどの、スマートな早口である。
 さらに、「M&Aで成長を達成」することに、経営トップが強くコミットした企業でない限り、担当したM&A(この場合、正確にはacquisition)が、社内で成功したという評価を受けたとしても、担当者は、それほど高く評価されない。実際に作業を担当したのは、インベストメントバンカーであり、弁護士であり、さらに言えば、出費も相当なものである。「成功して当たり前」と、現業の役員から変な(?)嫌味を言われたり、同世代からやっかみ(?)を言われるのがオチである。
 とにかく、ダウンサイド・リスクが大きい、こんな業務に、邁進するビジネスエリートは、間違いなく、日本では希少種である。日本の企業にろくなM&A担当者がいない、と嘆く投資銀行家は数多いが、事情が事情であるから止むを得ないのではないだろうか。
 前置きが長くなったが、何を言いたいかというと、上に述べたような環境では、日本企業にM&Aに関するナレッジやスキルが、いつまで経っても蓄積されず、本来なら価値創造に資するはずのM&Aが、知識が欠如しているために、価値を創造しなくなることを懸念しているのである。
 ネガティブ発想のペシミストは、こう考えるだろう:本流以外の業務で評価されず、新機軸を打ち出すことが"ご法度"である減点主義の日本で、大変な労力を伴いながら報われないM&A業務のスキルなんか、日本では、いつまで経っても、社内に蓄積されませんよ…。
 最近まで、この意見は、間違いなく正しかった。しかし、変化は突然現われることになった[注14]。

(5)誰が誰のために・何のために経営するのか?
 ニッポン放送事件で、フジテレビ側は、「ライブドアが経営権を獲得すると、企業価値が毀損する」と主張したのである。つまり、価値を創造することを証明できなければ、ディールをクローズさせることも、買収を防衛することも難しくなったのである。これは、日本のM&Aマーケットにおいて、89年の主要目的ルール以来のマントラになる可能性がある。従って、好むと好まざるとにかかわらず、企業のトップも考え方を変えて、M&Aに取り組みなら-グローバルな競争環境下で、M&Aを経営オプションから除外することは難しい-、価値を創造することに意識を集中せざるをえない。経営者が、人事評価制度、プロモーション制度、インセンティブ構造を大幅に変更する動機は十分である。
 価値を創造するM&Aを行うためには、社内でM&Aチームを養成することが欠かせない。そのためには、トップのコミットメント、人事組織・評価体系・インセンティブの変更が必要となる。そういった変更がなされるとの前提であるが、『M&Aは価値を創造するという意識並びに、M&Aは価値創造に関する経営上の選択肢であるとの認識を高め、必要な知識を吸収し、知的資産を活用するシステマティックな仕組み』を整えれば、専門性を持ったM&Aチームを整備することは、決して不可能ではない。大金を叩いてMBAを取得させた社員の能力を発揮できる場所がないといった喜劇(or悲劇)も減少するに違いない。日本人は、方向さえ示してやれば、その後、愚直に前進する能力に関しては、ずば抜けているのだから。
 「お茶の間・買収劇場」以降、(敵対的)買収防衛策が、俄然注目を浴びるようになったが、有効な防衛策の設計は、M&Aが如何に価値を生じさせるかを理解していない限り難しい。ポイズン・ピルやシャーク・リペラント(鮫よけ)を設定しただけで、防衛は完了しない。少なくとも米国では、ピルは、その役目を終えたのではないか? また、スタガード・ボード [注15]などの強い防衛策を始め、州会社法で定められている防衛策 [注16]でも、あまりに強力なものは、認められない傾向が、ますます強くなっている。では、どうすれば良いのか。
 自社株を買い続けるのか、配当を増やし続けるのか。敵対的買収に曝された80年代の米国企業は、体力を超えた無理な自社株買い、つまり、過大な借金を原資とした自社株買いを行い、体力を消耗させてしまった。また本来、将来への投資に回されるべきキャッシュを、配当に回すことでも、企業の長期的な価値は毀損される。このような背景から、米国企業は、ポイズンピルを標準装備することになったが、もちろん、それで全てが解決されたわけではない。企業は誰のもので、誰が、どの程度の果実を受取ることができるのか、が問われているわけであり、そう簡単に答えがでるはずもない。
 筆者がこの問題で注目したいポイントは、ガバナンスではなく、やはり価値創造である。企業の価値を創造するという行為、「誰が、どのような方法を採用すれば、ステークホルダー全員の価値(分け前を議論する前の価値)が最大化されるか」について、もっと精緻に分析するフレームワークを構築すれば、大きな前進があるのではないか、と考えている。
 当然に米国の「ユノカル基準」をある程度意識したガイドラインで設定されるように、企業価値を高める行為であるかどうかを(独立した社外取締役によって構成される委員会が)判断して、防衛策を発動することになる。従って、「まともな経営をすることは最大の防衛策」かもしれないが、"究極の防衛策"は、企業の価値を「高める」ために現経営陣は、『何ができ(どういう経営オプションがあり)、また(鋭い洞察をベースに)何をすべきかを誰よりも知っている(そして、投資家に正しく説明できる)こと』を強調したい。買収者よりも、現経営陣が価値を生む可能性が高いならば、買収は生じないし、経営陣の保身という疑惑も生じない。買収防衛の意味からも、"価値創造"という視点でM&Aを捉えることが不可避である。

【注釈】
注1 [1]。1991年に出版されている。
注2 防衛策のアドバイザーは、野村企業情報。
注3 防衛策として第三者割当増資を提案したのは、野村企業情報。この増資に対して秀和は、「著しく不公正な方法による発行」であるとして、差し止め仮処分を求めた。東京地裁(民事8部)は、秀和の主張を全面的に認め、現在知られるところの"主要目的ルール"が確立された。なお当時、野村證券は、流通業の主幹事をほとんど独占していた。
注4 例えば、[1]を参照。
注5 企業価値研究会、論点公開~公平な企業社会のルール形成に向けた提案~、平成17年4月22日。この報告書は、経済産業省のサイトからダウンロードすることができる。 (www.meti.go.jp/press/20050422005/050422ronten.pdf)
注6 十年以上、都銀でM&Aに携わってきたという「公称」プロフェッショナルであっても、本人が言うように、ネゴシエーションやバリュエーションの経験はないのである。このため、バイアウトのバリュエーションであっても、DCFを適用しよう等と平気で言ってしまうのである。また、UFJ銀行と住友信託銀行の案件で広く知られたように、日本では買収・合併であっても、通常のビジネス常識を反映して、契約はお互いの信頼に基づいたもので、あらかじめ文面で何か定めるというものではなかった。
注7 例えば、Novartis Institutesの 戦略的提携の責任者(head of strategic alliance)であるJeremy Levinは、カンファレンス(第10回Drug Discovery Technology年次会議)で、「この業界のアライアンスの多くは、失敗してきた」と述べている。出典は、Pharma Community Looks to Improve, C&EN, Aug. 15, 2005, p.9
注8 何かと批判の多かった、三共と第一製薬のM&Aを、「(メバロチンの特許切れで)急がないと外資に買収されますよ…」と後押ししたのは、某投資銀行だという("大買収時代ライブドア騒動は終わらない 投資銀行編 防衛特需に膨らむ強欲"、日経ビジネス、2005年5月16日号、pp.108-111)。ちなみに[2]では、教科書に登場する典型的なM&Aの動機を吟味した上で、(少なくとも80年代の)米国企業がM&Aを実行した動機は、経済的な理由(価値の創造)というより、"投資銀行による提案"と結論している。
注9 ウォルマートは、2002年に提携後、2008年に西友を完全子会社化した。業績は振るわず、紆余曲折の末、2020年に楽天とKKRが共同で買収することになった。
注10 2005年当時は、そのような状況であった。敵対的買収(伊藤忠商事→デサント、コロワイド→大戸屋、コクヨ→ぺんてる)や争奪戦(島忠←●DMC、○ニトリ)が起きることは、まだまだ想像できなかった。
注11 したり顔で、「M&Aは、単なる経営上の施策ですよね」というコンサルタントにも困ったものである。日本のコンサルタントは、もう少しクライアントに価値をもたらすべきである。
注12 この点に関しては、多くの書籍で指摘されている。[3]では、(減点主義を採用している企業では、失敗はご法度であるから)「そうだ、何もしなければいいのだ。そうすれば、絶対に失敗しない。」と考える社員の生息は当然と記述されている。また、同書では、変革の意思がない「新しいことをやって失敗したら、自分の責任になる」という保身を隠し切れない重役の話が紹介されているが、[4]では、同様のケースに遭遇した米国帰りのコンサルタントの戸惑いが、ビビッドに描かれている。もちろん、このような事例は、筆者も何度となく経験した。
注13 驚くことに、日本の証券会社でも、つい最近までM&A担当は、「ご愁傷様」であった。必要な知識を蓄えた優秀な人は、外資系に転職してしまい、相変わらず社内にナレッジは蓄積されない。大手証券会社のベテランM&A担当者(例えば、食品会社のディール及びチャイナ案件のプロ)も、愛想を尽かして、投資ファンドやブティックに転職してしまうのだ。
注14 2005年当時はそう思ったが、実は、早とちりであった。
注15 期差任期付取締役会制度。デラウェア州会社法で認められているが、あまりに買収防衛能力が強いため、最近では、ほとんどの株主総会で承認されなくなってきている(森田、企業買収防衛策をめぐる理論状況(下)、商事法務、No.1664)。
注16 事業結合を一定期間(例えば5年間)制限する、事業結合規正法が検討されている。米国では33州で設定されている。もちろん、取締役会の承認がある場合は、制限されない。制限期間経過後は、「公正価格法」と同じ規制が課される。公正価格法は、「利害関係株主との事業結合を遂行するためには、非利害関係株主に対して"公正価格が支払われる"のでない限り、株主による特別決議が必要」と規定する法律。友好的買収に関しては、一定の免除規定が設けられることが多く、27州で設定されている(出所:太田・今井、米国各州における企業買収規制立法の最新状況(下)、商事法務、No.1723、p.)。なお、これらの法律は、第二世代の反企業買収法と呼ばれている([5],p.195)。

【参考文献】
[1] 松井、M&A-20世紀の錬金術、講談社、1991
[2] J.Brooks(東 訳)、アメリカのM&A、東洋経済新報社、1991
[3] 堀(編著)、挑戦!夢があるからビジネスだ、プレジデント社、2001
[4] フランシス河野、ターンオーバー、2005
[5] 武井・中山・太田、企業買収防衛戦略、商事法務、2004

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